「コルヌコピア」山口優

(PDFバージョン:korunukopia_yamagutiyuu
 私は、その少女を頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと眺めた。
 さらさらした、柔らかい黒髪の少女。ふわっとした前髪が、ぱっちりした黒目がちの瞳に柔らかくかかっている。睫は長く、鼻筋は上品にすっきりとしていて、唇は赤くふっくら。スリムな、というより、まだまだ未熟な身体を、セーラー服に包んでいる。脚には紺色の靴下に、黒いローファー。
 きらきらした瞳で、私を見上げている。
「はい? 何のご用?」
 インターホンのモニタで彼女を見て、私は好奇心もあって扉を開けてしまった。本当は今夜じゅうにとりあえず論文の序章だけでも仕上げなきゃいけなくて、結構忙しかったりするのだが。
「こんばんは。あたしはコルヌコピア」
 少女は言う。
「ピアって呼んでください」
「は、はい……」
 外国の人なのか。まるっきり日本人に見えるのだが。
「おめでとうございます! あなたは選ばれました。一〇一兆三四五六億三三四二分の一の確率で当選したのです! 願いを叶えてアンケートに答えるだけ! 簡単ですよ?」
「えっと……さよなら」
 なんだよそれ。女子中学生のコスプレした販売員? ローティーンにしか見えないのだが化粧のテクニックか? 最近は手の込んだ訪問販売があるものだ。確かに警戒心は解かれるが……。
 私はため息をつきつつ、扉を閉めようとする。が、閉まらない。ローファーのつま先をドアの間に挟んでいるのだ。
 くそ。このローファー堅いぞ。
「待って! 本当に選ばれたんですよ。本当です! 願いが一つ叶うんですよ!」
「はあ?」
「信じて……?」
 瞳に涙を一杯に溜めて訴えかけてくる。
 くそ。あざとい訪問販売員め。くそ。
 私は扉を開けて、そのあざとさのカタマリを、私の狭いアパートに招き入れた。
「で、願いが叶うって何?」
 私は頬杖をつき、テーブルの向こうの少女を胡乱げな横目で眺めながら言った。
「あたしはコルヌコピア・タイプのロボットです。ホログラフィック回路を実装した高次ブレーンを余次元に待機させていて、そこから何でも取り出せるし、この宇宙というディリクレ・ブレーンの上の事象を何でも意のままに操れる――。でもロボットだから、自分の意志はなくて、誰かの願いを叶えなければいけないんです。それがあたしの存在理由。そして、無作為に選んだのが、あなた。私に観測可能な超光円錐の中の、どの宇宙膜の、どの知的生命でも良かったんですが……」
「ほお」
 最近の訪問販売はやけにSFチックだ。嘘八百だろう。が、まあ無理難題を突きつけて、コイツの慌てた顔や焦った顔を鑑賞するのはそれなりに楽しいかも知れない。私は息抜きにこのあざとさのカタマリを使うことにした。
 だが、さて。
 日常的な願いなら、
 イケメン(でなくてもいいが、まあそれなりにかっこいい)彼氏が欲しい。
 バストサイズをもう少し(少しでいいんだ、もう少しだけ)。
 ――というあたりか。
 だが、そんなことを頼んでも、「じゃあもっとお化粧しましょう」「バストアップにはこの製品!」とか何とか、上手いこと言って商売に繋げてしまう気がする。何しろあざとさのカタマリだからな。実年齢は何歳か知らないが。
 よし。もう少し高尚な願いにしてやる。
 研究費がもっと欲しい。――いやそれよりも。
 論文のデータが早く揃って欲しい。
 というあたりか。実はそっちが切実だ。彼氏は――暇なときに研究室の誰かをひっかければよろしかろう。イケメンというわけにはいかないが――。
「うーんと。今書いてる論文のデータ揃えて?」
「ニュートリノ振動のやつですね? はい、どうぞ」
 ピアは頷いて、言った。慌てもせず焦りもせず、笑顔で、一瞬で。
「へ?」
 私は部屋のパソコンにかじりつく。ネットを通じて某鉱山の某測定器と接続されているもので、生データが直接閲覧できる。
「……嘘。マジ?」
 揃ってた。さっきのビームの分だ。これで論文がかける。あと二月は待たなきゃいけないと思ってたのに。――というか、これは――。
 そう。普通二ヵ月かけて溜めるようなイベントデータが、この一回のビームで揃ってしまったということは……。私はすばやく、他の測定器のデータも確認し、どう転んでも、その異常なデータが、現実に起こった事象を反映していることを悟る。
『この宇宙膜の上の事象を何でも意のままに操れる』――。
 ピア……こいつ……!
 私の中の、じわじわと涌いてきた恐怖を余所に、ピアはにこにこしている。
「じゃあ、事後アンケート、行きますね。簡単な三択の質問が一つです。あなたは、ピアについてどう思いましたか? ①願いが叶っても嬉しくないし、早く帰って欲しい。理由は○○である。②願いを叶えて貰ったのはありがたいが、正直一緒にいたくない。理由は○○である。③とてもありがたかったので、ずっと傍に置いておきたい」
 少女――ピアはにこにこした顔のまま、私を見つめてくる。
「それ、①か②だったら?」
「すぐに帰ります。願いは一つだけ」
「③って答えたら?」
「一緒に居ますよ? ずっと」
「願いは……?」
「お好きなときに、いつでも」
「……③よ……」
 私は亡霊のような声で、言った。私の答えを受けて、ピアはいっそうにこにこしている。
 そう。論文は書ける。それもとびきりの奴を。だが、ピアによって、この宇宙の有り様は、既に劇的に変わってしまったのだ。このままでは宇宙は歪み続けるままだろう。そして、それを阻止する力を持つのは、多分こいつだけ。
 つまり、この悪魔を帰らせてはいけない。

山口優プロフィール


山口優既刊
『シンギュラリティ・コンクェスト
女神の誓約(ちかひ)』