「旅路」高槻真樹

(PDFバージョン:tabiji_takatukimaki
 この文章を書いているいま現在、父方の祖父は100歳を超えなお健在だ。昔は祖父のことが少し苦手だった。もともと教師であったせいか大変謹厳実直な人で、子供のころは里帰りしてもくつろぐどころか緊張の連続だった。一度などは「顔に厳しさがない」といわれ母が後で憤慨したことがある。
 そんなわけで就職後はすっかり足が遠のいていたのだが、数年前、思い立って妻を伴い来訪したことがある。さすがに死ぬ前に妻の顔ぐらいは見せておきたかったからだ。あの時はまだ祖母も生きていた。100歳を前にした夫婦が寝たきりにもならずに元気で出迎えてくれるというのは、滅多にあるものではない。
 祖父は子供のころとあまり変わらなかった。子供の目には当時から既に老人であったからだろう。だが話してみると昔のいかめしさがすっかり影を潜め、話好きの人なつこい老紳士になっていたのには驚いた。
 妻は自然保護の活動に参加していることもあって、在野で薬草の研究を続けてきた祖父の話を楽しみにしていた。さすがに寄る年波には勝てず、庭にかつてあった見事な薬草園は消えていたが、立て板に水の祖父の話は面白かった。とても100歳を間近にした人とは思えないほどだった。
 祖父は在野ならではの身軽さを生かし、あちこちに現地調査へと出かけたのだという。富士樹海では、道に迷わないよう、樹にしばりつけたロープをたどりながら慎重に中へ分け入った。地元のガイドが心配したが、一人でも迷わずに出てきて驚かれたそうだ。日本アルプスや東北など手間を惜しまずにあらゆる場所へ出かけた。
 だんだん日本だけでは物足りなくなり、海外へも足を伸ばした。一度はアフリカへも出かけ、喜望峰からケニアまで大陸を北上するルートで各地を巡った。もちろん現地の言葉など分からない。

「でも気持ちがあれば大丈夫。お互い手を挙げて『ハウッ』と挨拶すれば通じます」

 さすがに妻が「本当?」という感じの困惑した目つきでこちらを見る。確かにそんな話は聞いたこともない…しかし祖父は冗談を言うような人ではない。極めて真剣な目つきで、口から泡を飛ばしてしゃべっている。

「とにかくいろんなところへ行きました。アフリカはもちろん、月の裏側へも行きました。月の裏側は…やっぱり暗かった」

 ここまで来ると「えっ」とならざるを得ない。二人で顔を見合わせていると、祖母が苦笑しながら言った。

「すいませんねえ、この人、ぼけの初期で」

 100歳を前にした夫婦同士で「初期」も何もないものだが、祖父の姿はとてもそんな風に見えない。極めて元気そうで久しぶりに会う孫のこともちゃんと覚えていたし、人の区別もつく。
 認知症については知らないわけではない。かなり以前、母方の祖母が認知症の末に死んだ時のことはよく覚えている。認知症は家族にとってとても悲しいものだ。記憶の範囲がだんだん狭くなり混乱していき、自分のことも分からなくなる。最後に残るのは自分の若いころのささやかな思い出だけ。
 若いころの体験も何も、祖父が月の裏側へ行ったことなど絶対にないことだけは断言できる。認知症として祖父のような例は聞いたことがなかった。
 その後、祖母の葬儀の席で叔父叔母に会ってこの話をするとドッと受け、場の空気がなごやかになった。普通、認知症の話は楽しいものではない。いつか自分もああなるのだという思いから悲しい気分になる。だが、祖父の例はとても楽しい。
 叔母の話では、そもそも祖父はかなり最近まで飛行機すら嫌って乗らなかったのだという。ところが孫の一人がドイツで国際結婚をすることになり、渋々初の国際線を体験した。すると、一気に海外旅行にはまってしまったのだそうだ。
 こんなに楽しいのなら、もっと早くから行っておけばよかった。そういう思いが、記憶を修正したのだろうか。旅行に行けないならば旅行の記憶を手に入れればいい。まるでP・K・ディックの「追憶売ります」ではないか。
 だが祖父はディックの主人公と違ってちっともしょぼくれていない。むしろ日々充実してとても楽しそうだ。
 祖父は教師の傍らに短歌をひねり、引退後もコツコツと野草の研究を続けてきた。地元では「先生」とあがめられる名士で、まさしく絵に描いたような悠々自適。しかも月の裏側に旅した記憶すらある。なんとうらやましい。
 普通認知症の患者は話が単調で繰り返しが多くなることが多い。母方の祖母もそうだった。だが祖父の話はひとつとして同じものがなく、叔父叔母に対しても大変にバラエティに飛んだ壮大なストーリーが展開されているようだ。
 祖母の葬儀に来た参列者には

「ついにマツタケの栽培方法を見つけたぞ」

と語ったそうである。マツタケの石づきの根元5センチを切り取ってひとつずつ植木鉢に埋めるとうまくいく…と得々と説いた。薬草研究者としての祖父の経歴を知っている人々は「本当ですか、先生」と身を乗り出したため、叔父たちが慌てて止めに入ったということだ。
 幸福な人生を送ることは難しいし幸福な老後を送ることとなるとさらに困難だ。だがSFファンならばこんな老後にこそ憧れるというものだ。誰か私にもくれないだろうか。月旅行の記憶。

高槻真樹プロフィール