(PDFバージョン:agape_yamagutiyuu)
科学部部長の絵夢先輩は、いつも興味深い発明をする。
その日、彼女が作っていたのは、いわゆる惚れ薬だった。が、彼女の説明には、不可解な点があった。
「ただ、飲めばいいのよ。そうすれば惚れることになるわ。それだけ」
彼女はいった。彼女はフラスコの中の、果汁一〇〇パーセントオレンジジュースのような液体を私に示して見せた。
「こわい?」
「だって、意味がわかりませんよ。飲んだ人が惚れるんですか? 誰に? 目の前にいる人に?」
「それは、飲んでからのお楽しみってことで」
絵夢先輩はにこにこ笑って、薦めてくる。彼女はいつも微笑んでいるし、わたしの宿題をみてくれたり、わたしの相談にのってくれたりと、親身で優しい。けれど、底が見えない怖さもあった。
「遠慮しときます」
わたしはいった。絵夢先輩は心底残念そうに、ためいきをつく。
「じゃあ、誰かに先に飲んでもらおうか。そしたら、安心する?」
「まあ、一番先に飲むよりは」
わたしはいった。ちょうどそのとき、啓太先輩が部室にはいってきた。部室といっても、科学準備室なのだけど。
「絵夢、今日も来たよ」
啓太先輩はあからさまに絵夢先輩に惚れている。絵夢先輩はフラスコの液体を直接差し出した。
「いらっしゃい。喉渇いたでしょ?」
「オレンジジュース? ありがとう。絵夢は本当にやさしいね」
啓太先輩は、全く疑いを持たず、惚れ薬を飲んだ。そして、じっと絵夢先輩を見つめる。わたしは、何が起こるのか、とても興味を持って、啓太先輩と絵夢先輩を見つめた。啓太先輩は、急に時計を見た。
「しまった。先生に呼ばれてたんだ。ごめん、絵夢。また後で会おう」
啓太先輩は踵をかえし、出て行った。
「どう?」
絵夢先輩がわたしに尋ねる。
「意味が分かりません。逆に惚れられなくなったんじゃないですか?」
「違うって。まあ見てて」
絵夢先輩は、笑顔、というシンプルな表現が似合う顔でいった。笑っているということ以外に、その表情からは何も読み取れなかった。
わたしは、絵夢先輩の言葉通り、啓太先輩の動きをそのときからずっと見ていた。成績があまりよくなく、遊んでばかりだった啓太先輩は、そのときから勉強に励むようになり、生徒会長にも立候補した。真摯な演説が受けて当選し、会長になった今は、ユニセフや赤い羽の共同募金、地域の清掃活動にいそしんでいる。
絵夢先輩とは、出会ったときには本当に愛しそうに話しかけるのに、彼女を部室に訪ねる機会はめっきり減ってしまった。
「やっぱり、惚れられなくなってしまったじゃないですか」
わたしは一年後、絵夢先輩にいった。
「誰も、目の前の人に惚れるようになるとは言ってないわ。啓太は、あれを飲んだ瞬間、すべての人が好きになったのよ。この世界にいるすべての人が。だから、私だけを好きでいることができなくなっただけ」
絵夢先輩は、相変わらず、ただ笑っているだけの表情でいった。
わたしは、ぞっとした。
啓太先輩は、これからずっと、社会のため、人々のため、全人類のために働き続けるだろう。だけど、彼がたった一人を愛することは、人を愛する喜びを知ることは、もう永遠にないのだ。
本人にとっては、幸せな人生なのだろうけど。
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