「電話」井上剛

(PDFバージョン:dennwa_inouetuyosi
『誕生日なのにごめんよ』
 電話の向こうで彼が言った。気にしないで、とあたしは送話口を手で覆って囁くように答えた。彼にはあたしの声以外、聞かせたくはなかったから。彼に向けたあたしの言葉を、他の誰にも聞かれたくはなかったから。
 今どき大学受験に専念するために逢うのを我慢するなんて流行らない。でも、そんな彼の生真面目さが好きだった。医学を学び、命を救うために働きたい。照れ臭い台詞がよく似合った。あたしもいつしか、彼と同じ道を歩きたいと思うようになっていた。
 同じ大学に通うようになったら、十月のあたしの誕生日にはその日を一生忘れることのないような記念のプレゼントをするから、と彼は約束してくれた。あたしも、それに負けないだけのものを彼に捧げようと心に誓った。
 今日が、その日だった。
 三月、二人の明暗が分かれた合格発表の帰り、週に一度は電話するよと言われて、家に着くまで涙が止まらなかった。彼の声が待ち遠しく、彼専用に設定した着信音が鳴れば餓鬼のように飛び付いた――
『胸を張って君と会えるように、今は頑張るよ。それに、万が一の時、君と付き合ってたからだ、なんて周囲に言わせたくないし』
「わかってる。気を遣ってくれてありがと」
 ――二ヶ月前までは。
「会えなくても、心の中で応援してるからね」
 携帯電話を切り、あたしは席に戻った。
「誰から?」
 クラブの先輩が聞く。テニス焼けの顔に白い歯が眩しい。あたしは小さく笑って答えた。
「高校の時の同級生。別に用はないみたい」
「そうなんだ。それじゃ、あらためて。誕生日おめでとう」
 あたしと先輩はワイングラスを手に取り、キャンドルをはさんで二人きりの乾杯をした。テーブルの端で、1015と彫金されたゴールドのタグがあたしに微笑みかけた。

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井上剛既刊
『死なないで』