「目眩する刻(とき)」飯野文彦

 甲府の街を南北に流れる荒川河川敷にあるサイクリングロードを歩いた。川沿いの小径を毎日のように散歩している。
 なにか期待しているわけでもなく、なにかが得られるわけでもない。強迫観念の一種か。行きたいとか、面倒とか今日はやめようという気持ちとは別次元で、朝、それが昼近い時間であろうとも目が覚めると、洗面もそこそこ、玄関先で靴を履き、散歩に出る。
 立ち止まり、川を見た。水草が川の中で流れに呑まれながら、その横を黒い鯉が流れに逆らって、止まっているように見える。
 どこから来たのだろう。
 上流に釣り堀があり、何かの拍子に逃げ出して、この辺りに落ちついた。
 否、古くからこの辺りに生息しており、その子孫が今も、ここにいる。そういえば、子どもの頃にも見かけた。その子孫か。そのときの真鯉が成長したのか。
   ◇   ◇
 脳髄に鬆(す)が入っている。比喩でも冗談でもなく事実だった。彼には事実だと分かった。彼は物書きだ。だが、こうしてノートパソコンに向かっていても、文章どころか何の言葉も出てこない。ただ白いままのディスプレイを見ているだけである。
 いつからか常に眠気がのしかかっていた。今もそうだ。まだ昼前の、窓の外には青々とした空が広がる六月も末の、温かい日中である。梅雨はまだ明けていないものの、すでに真夏のような日が、このところつづいていた。
 この間までは、春眠暁を覚えずだからと嘯(うそぶ)いていた。すでに春の日は過ぎて、温暖化の影響か、真夏のごとき陽気である。
 ああ、こうしていても、瞼は閉じてしまう。脳はとろけ、見えない穴からすっーと抜けだしていくようである。
 悲しい。切ない。それらは間違いではないけれど、押しよせるのは涙ではなく、ぼんやりとした倦怠だけである。
 結局、どうにもこうにもノートパソコンに向かっていられず、ごろんと横になり、三十分あまり意識を失った。眠るというよりも、失神というほうが近い。
    ◇ ◇
 私の立場を書こうと思う。立場というのとは違っているかもしれないが、とりあえずそう銘打って書く。
 現実の生活の中で幻想にいる自分がいる。
 娘は失恋で苦しんでいる。その感覚が分からない。以前は私も苦しんだ。だが今は実感として、どこか違う世界に来てしまったみたいだ。還暦となった今。
 幻想は現実と重なり合っている。意識が薄れたり、ぼんやりしたときに気がつくと幻想の世界にいる。私の場合、酔ったときに最も多いのかもしれない。
 私は半分、現実の世界から離れ、幻想の世界にいる。不思議な感覚がある。それを浚(さら)って、文章として書き留める。
    ◇ ◇
 中央線がどんどん曲がっているらしい。
 試しに甲府から上りの各駅停車に乗った。
 小一時間居眠りしたら、鰍沢へ着いた。
 停車時間にホームへ飛び降り、買えるだけの缶酎ハイを仕入れた。
 飲みながらぼんやりと景色を見、ふたたびうとうと寝てしまった。
「お客さん。終点です」
 車掌に起こされて、ホームへ降りる。甲府だった。
    ◇ ◇
 書けなくなった。それはある意味、自業自得だった。自分で自分の首を絞め、その末に絞殺してしまったのである。
 否、断定はできない。したくない。それが本当だとしたら、彼が感じている倦怠はすでに死した者と同じになる。生身を残しているだけに難儀だ。死して腐敗しているのに、彼自身も周りの人々も生きていると錯覚する。
「それはちがう。俺は生きている」
 彼はつぶやいた。その言葉は辛うじて彼自身に聞こえるだけの弱々しいもので、図らずも、末期の一息だったのではないかと怯える。そのくせ、それ以上何かを起こす気概など、塵(ちり)ほども沸いてこない。
    ◇ ◇
 娘はいまだに失恋の傷を引きずっている。この間の週末戻ったときも、夜に飲みに出たり、健康ランドへ行ったり、ジムへ行ったりしていた。双子、私にとっては孫であり、娘にとっては息子である子供たちと私が寝ている間、一人でじっとしていられないと言っていた。一人ではない。妻と私、何より双子がいるのだが。

 娘が泣きながら電話をかけてきたのは、五月二十九日日曜日だった。この日の日記から抜粋する。
〈娘が戻ったのは午後九時十分だった。当初の予定では土曜、双子が寝入ってから出る。八王子でフェス。朝には帰ると言っていたが、土曜の晩には、戻るのは昼頃になりそう、友だちといっしょに来て、休んでから双子を連れて上京すると言っていた。どうなっているのか、ラインで訊いても返事がない。娘から電話が入ったのは十時十三分だった。泣いている。友だちはすでに帰って、元彼といると言う。帰りは何時になるかわからない。この二ヶ月死にたかったとも言われ、とにかくと励ますしかなかった。そんな感じで今日桜座でライブがあるのだが、無理だとわかった。〉

 二ヶ月前、四月十六日土曜日の日記を見ると、こんな記述があった。
〈娘は午後三時四十分頃に戻った。今、双子用の味噌汁を作っている。今日も桜座は無理だろう。娘が私の部屋に来て、少し話した。男と別れたのがまだ響いているらしい。男に携帯を見られた。以前、運転中に操作を頼んだことがあり、それで暗証番号を覚えられて、盗み見られたらしい。〉

 この日の日記にはこんな記述もある。
〈八時三分・妻のMは三十分ほど前にレッスンに出かけた。二階で寝ていた令斗も、一階のベッドで類斗と寝ている。
 十時三十七分・この時間になったか。流れを書いておくと、双子はなかなか起きなかった。起きたのは九時近くか。Mが作り置きしてくれたおにぎりを急いで食べさせ、着替えさせて、アンパンマンチョコでつって私の車、日産ノートに乗せたのは九時十五分になる頃か。保育園に着いて、登園記録は九時二十六分になっている。それから園を出たのは九時四十八分。つまり二十分以上かかっている。アンパンマンチョコをなかなか食べない。この間もそうしたように、梵鐘の前にある石のベンチに三人で坐って食べようと言う。墓参りのおばさんが人を待っていて、その人とも双子は話していた。先生に来てもらわなければ、いつまでも教室に入らなかっただろう。ただ大変は大変だけど、苦痛かと訊かれると、そうではない。むしろ楽しい。また今日上京するらしいし、戻りは火曜日。つまり会えない時間が増えた。さみしい。よく喋るようになって、一緒にいるのが楽しい。寝起きとかぐずっているときは泣きじゃくり、今朝も寝起きの類斗にぱしぱし叩かれたけど。〉
    ◇ ◇
〈園から家に戻って、この頃は午後六時頃だが、それからしばらく庭でキックバイクで遊ぶ。三十分前後か。
「じいじ来て」
 と言うので、一杯飲みながらベンチに坐って見ているのも、楽しい。迎えの時間を午後五時五十分近くに変更して、五時過ぎまで机に向かえるようになったことも大きい。文字無き目眩する刻(めまいするとき)だったとしても。
 しかし土曜日は土曜保育、今までどおり午後四時半頃までには迎えに行く。今日は娘次第だが、五時半から桜座があるので、もっとはやく四時頃迎えに行けると助かるのだが。娘は昼前に戻り、仕事に出ている。昨晩、どれだけ寝ているか。眠れず、睡眠不足だろう。
 昨日の晩、類斗が泣いた。令斗が駆け寄って「るいとー!」
 今朝、保育園の庭でアンパンマンチョコを並んで食べていたとき、類斗がふと口にした。夜、泣いた。青鬼に閉じ込められた夢を見たのだと言う。令斗が助けてくれたと言う。〉
 昨晩の十一時頃だった。夜更かしの令斗はベッドにいたが、まだ寝ていなかった。寝入った類斗が、泣き出した。令斗はさっと起きて、類斗に抱きついた。私はママに会いたくて泣いたのだと、頭から思いこんだ。顔を見せてやろうと、駄目元で娘に電話すると、すんなりと出た。お客さんと会っている最中だったらしい。事情を話して、ビデオ通話にして、類斗にママの顔を見せた。泣きやんだもののじっとママの顔を見ているだけで、反応が鈍い。しばらくそうして、電話を切る段になって、ばいばいと画面に向かって手を振っただけだった。
 電話を切り、さてどうするかと思った私は、ほかに考えも浮かばず、二人に添い寝しながら『ゆりかごのうた』を歌った。もっともっと幼かった頃、寝つかなかったときに歌ったものである。私は音痴だ。かわいそうだなと思いながら、変に抑揚を付けたり、言葉を換えたりせずに、たんたんとくり返し歌った。それでもいつか静かになってくれると、ほっとするよりも申し訳ない気持ちになった。
 泉邦宏さんのように上手かったら、子どもたちも喜ぶだろうに。双子よりも年上だが、泉さんにはお子さんが二人いる。幼いときぐずったら、歌ってあげたことだろう。それにひきかえ、令斗と類斗はこんなじいじの下手くそな歌だった。
 あの頃、歌いながら脳裏に『浪曲子守歌』の歌詞が浮かんだ。子供の頃には変な歌としか思わなかったが、子守りしながらふと思い出すと涙が出そうになり、下手な『ゆりかごのうた』を歌いつづけた。
 歌うのは久しぶりだった。もういいかな、と歌うのを止めたとき、はじめて類斗が言ってくれた。
「じいじ、もっと歌って」
 翌日、娘からラインが来た。
[類斗くん、この頃、すぐ拗ねる。この間も叱ったら、夜中にしくしく三十分も泣いてた。]
 ママに会いたくて泣いたんじゃないのか。わからなくなった。と、今朝十六日土曜日、保育園の庭、石のベンチに坐ってアンパンマンチョコを食べていたとき、類斗が言ったのである。
「寝ていたとき、泣いた。青鬼に閉じ込められた夢を見て。令斗くんが助けてくれた」
 ほんとうにそうなのか。それとも話を作っているのか。わからない。
    ◇ ◇
 一房に入っている枝豆二つ。
 一つずつ、双子に食べさせる。
 三つ入っているのも、一つずつ。残りの一つは私が食べた。
 また三つの房。
 一つずつ双子にあげた後、食べようとしたら、空だった。
 誰が食べた?
    ◇ ◇
 娘は今週、一人で沖縄へ行くという。来月には韓国へ行くという。じっとしていられないから、か。Mに仕事の合間合間に帰ってきてもらい、子守りを手伝ってもらわなくてはならない。ただ日曜日、Mは仕事の都合で、朝から日暮れ過ぎまで戻ってこられない。
「レインボーわんぱく園に預けて」
 娘は言う。レインボーわんぱく園は一時保育をしてくれる数少ない保育園だ。何度か利用したことがある。最初は心配だったが、迎えに行くと二人とも元気にしており、どうだったと訊くと、新幹線のおもちゃがあったと喜んでいた。良かった。それ以後もゴールデンウィークのときは、三日連続で預けた。やはり迎えに行くと、笑顔で出てきた。
 ところがしばらくすると、二人して、行きたくないと言った。何度も訊いてみると、どうやら怒られたらしい。鼻水が出ても、
「自分でかめ」
 と怒鳴られたと言う。それ以後、登園する前に、どちらともなく、
「今日は、どこの保育園?」
 と訊くことがある。冗談でレインボーだよと言うと、やだ。そんなやりとりが何度となくあった。私は訊いた。
「日曜、またレインボーへ行く?」
 二人は口々に答えた。
「お家でじいじと遊んでる」
「いい子にするから」
    ◇ ◇
 表現とは、どれだけ人の心を動かすか。さらに人に考えさせられるか。
 勝手に? 考えてくれる。
 どこまで、スカスカにできるか。言い過ぎか。表現はちがうかもだが、極意か。
 ただ人に与えることに重きを置きすぎるのは、私の表現とは違う。デュシャンの泉であり、今見ている録画、日美、も近い。誰だ?
 オラファー・エリアソン。
 つまりは自分のなかにあるものを投げ出して、書き出して、人に与えて、どう解釈してもらうか。
 与えられた人の、想像力。なのか。
 表現はいかに人の心を動かすのか。
    ◇ ◇
 娘が夜中に飲みに出る。先日は東京から来た友だちと連れだって、深夜に出掛けていった。友だちというのは生後六ヶ月の女の子を持つシングルマザーで、出産前には幾度となく来ていたので私も知っていたが、出産してからは、はじめてである。
 連れだって飲みに出たわけで、子供は置いて行った。娘は一人で来たときもちょくちょくやるから、うちの双子の孫と寝るのは慣れている。しかしはじめて会う六ヶ月の女の赤ん坊となると話は別だった。
 すぐに連絡が取れるようにしておいて、と言っておいたとはいえ、突発の事態があったらと思うと、夜中いったん目が覚めると、なかなか寝つけなくなった。私と双子が寝ているベッドの脇に、持参したらしい赤ん坊用の布団で寝ている。もごもご動いているが、泣きもせず、いたっておとなしい。今回、抱いてみて、その軽さにびっくりした。四歳になる双子は二十キロほどあるだろう。「だっこ」だの「おんぶ」と甘えるので、それなりに力を入れて抱きあげる癖が付いていたのだろう。女の赤ん坊を抱くときも、ついついその調子で抱きあげたらあまりの軽さに放りあげそうになった。
 生まれたときは三千グラム弱だったという。双子は未熟児でどちらも二千グラムなかったから、ずっと軽かったわけだ。生後六ヶ月になる前に同居して、世話を始めた。抱きあげて運ぶというと思い出すのは、風呂だ。娘なりMなりが小さなプラスチックのバスタブに入れて、洗い、洗い終わると私がタオルを持って譲り受け、布団まで運んだ。令斗か類斗か、どちらから入れるかは、そのときの気分なり体調なりだっただろう。だがどちらを運ぶときも、私が口走った言葉は一緒だった。
「生ガキ一丁、おまちどおさま」
 面白いかつまらないかではなく、馬鹿のひとつ覚えだった。
    ◇ ◇
 父の脳波計。死の間際、私はひとり病室にいた。父を見守る。弱くなる息。ベッドのわきの心臓の鼓動を示す、線も波がゆるやかになっていく。
 元気になって、と願い、その波が大きくなることを願ったのだ。大きくなった、文字を描いた。その直後、動きは止まった。
 そんな波の動きは見られなかったと病院の者は言う。
 身内は、なんて出たの、と聞く。私は答えた「ありがとう」と。みな、納得したような、そうだね、という雰囲気で終わった。
 この言葉は私の言葉だ。父が発してくれた言葉に対する、私の言葉。
 父の言葉はどうだった?
 実家の二階。八畳間の押し入れの右端の下。
 そこにあった隠し財産は、私の余生を保証するにあまりあるものだった。
 父さん、ありがとう。
    ◇ ◇
 鈴木常吉さんの『鉛の兵隊』を聞いていると、こんな話を書いてみたい。おもちゃのチャチャチャにも、鉛の兵隊が出てくる。その流れで話を作ってみようか。
    ◇ ◇
 娘たちが別れる前、甲府の家で飲んでいたとき、双子と娘と彼氏がいた。実は七月に桜座で何かライブをやろうって話が出てるんだけど、ほろ酔いで話した。
「歌うんですか?」
 彼氏に訊かれた。
「いや、朗読か、誰かに読んでもらうか。前にもやったんだよ。受付してくれたよな」
 そう言ったけれど、すでに娘、彼氏にも関心はなく、別の話をしていた。
 ずっと昔、新宿でワープロを買ったとき、中野に住んでいたかな。でかくて重いのでタクシーに乗った。運転手が、
「ワープロですか。わたしも持ってましてね。ちょっと書き物をしたり」
 などと話しだした。私はまったく関心がわかず、はあと聞き流し、話は終わった。という経験を思い出した。
    ◇ ◇
 パトカー。タクシー。
 類斗がオモチャのパトカーにタクシーの上のマークをつけた。
 ガバドンのように移転する、と。
    ◇ ◇
 昔の友人が、十年では収まらない、二十年ぶりくらいに訪ねてきた。どうして、ここがわかったのか。気になったのは一瞬、年賀状交換だけは途切れずつづいていた。
 しかし彼は、ここから電車を乗り継いでも、半日あまりかかる場所に住んでいるはずだ。ぶらり旅にでも出て、立ち寄ったとでもいうのか。それなら一報くれればいい、とつぜん来られて迷惑とまでは言わないが、今日は野暮用とはいえ、これからやらなければならないことがあった。
「ある人から、この街に掘り出し物があると連絡をもらってね」
 そうか、年賀状にあった、数年前に骨董店を営みはじめた、と。Mは留守だったが、カウンターにあったMと私が写っている写真を見て、骨董の目利きが言った。
「よくできているが、偽物だ」
    ◇ ◇
 令和×年八月六日、私は桜座へ行った。ライブの後、いっしょに飲んでいたチエちゃんがイヤリングをなくし、私が桜座へ電話して、マスターの龍野さんとやりとりしたらしいのだが、まったく覚えていない。
 昔、まだ幼かった頃、酔ってこたつに寝ていた父が、寝ぼけてわからないことを口走っていた。私が話しかけると、朧気に訳の分からないことを返す。それがおもしろかった。と同時に不思議だった。
 酔うと別の世界で暮らしているのだろうか。酔うと、酔いの世界に行き、そっちで生活しているのだろうか。まさに今の私がそんな感じではないのか。(了)