「十六番ホール」田林洋一

十六番ホール
田林洋一

ハーバート・ラッセル・ウェイクフィールドに捧げる

 どうして私がゴルフという競技を忌み嫌うのか、説明しろというのか。ある意味で健康的かつ牧歌的で、ビジネスでのコミュニケーションにも効果的で、そして老後の趣味にふさわしいスポーツに対して、蛇や昆虫に抱くような嫌悪と厭忌の情を抱かずにはいられないのは、確かにそれなりの訳があるのだ。だが、それを君や、君以外の誰かに話したところで、到底分かってもらえるとは思わない。テレビに映るゴルフのシーンにすら耐えられず、すぐにチャンネルを変えてしまうこと、ゴルフクラブやゴルフボールの広告を見つけるやいなや、その紙切れをくしゃくしゃになるまで握りつぶしてしまわないことには、心の平穏は保たれないのだ。
 子どもの頃、いや、これから君に語るであろうある事件が起こる前までは、そんなことはなかった。むしろ、運動好きの父親の影響もあって、四才の頃からゴルフクラブを振り回していたものだった。父親は赤ら顔をした巨漢で、私は幼少期の頃から父を恐れていたが、同時に尊敬もしていた。父はカナダのケベック州のはずれにウィンチェスターゴルフコースを所有しており、会員制の倶楽部を運営して莫大な報酬を得ていた。私は父と一緒に、その会員制のゴルフコースをぐるぐると歩き回っていたが、なかなかクラブを振らせてもらえず、いつもやきもきしていた。父が私に言うところでは、ゴルフは神聖な紳士のスポーツだから、大人が公正にやるべきで、四才の子どもが戯れでコースに出るべきではないというのだ。私は子ども心にも釈然としなかったが、それ以来、紳士たるべく行動すれば、父に認められ、必ずウィンチェスターゴルフコースをラウンドできると固く信じていた。
 そんな私がゴルフというスポーツを忌み嫌うようになったのは、成人して、父も往年の精力的な活動に陰りが見え始めた頃だった。これからそのきっかけとなった一連の顛末を話したいと思う。君が、もしかしたら何を馬鹿なと思うかもしれない話だが、これは私の身に実際に起こった出来事なのだ。君が信じようと信じまいと、そんなことは一向に構わない。
 ある日、私は父に呼ばれ、ウィンチェスターゴルフコースをラウンドする許可を与えられた。今まで他のコースや大会に出場し、かなりの好成績を収めていた私にとって、父のゴルフコースでプレーすることは夢であると同時に、来るべきものがついに来たという高揚感も同時に与えてくれるものだった。わくわくしながら一番ホールティーのすぐそばにあるクラブハウスに、スコアブックとクラブを取りに行く。ついでに軽くコーヒーでも飲もうと、空いている座席を探していると、席に座ってラウンドを回り終え、ビールをジョッキからちびりちびりと飲んでいる白髪の男が、愚痴を言っているのが聞こえた。
「お前も、十六番ホールでダブルボギーだったのかね?」彼は同席の小柄なプレイヤーに向かってそう声をかけ、そして嘆息した。「わしはもっとひどかった。何せプラス五だからな。どうも十六番ホールはいかん」
「今回は、たまたまダブルボギーで切り抜けましたが」小柄な男は言った。「前にラウンドした時は、あまりに叩いてしまったので、その場でギブアップしたんです。コース自体は見晴らしもいいし、バンカーも特に厳しくないとは思っていたのですが」
「いや、あの十六番ホールには、何かプレイヤーを見下しているような雰囲気があると思っておる」白髪の男は続けた。
「ホールがプレイヤーを見下す?」私は興味をそそられて、コーヒーカップを持ちながら白髪の男が座る机に近づいた。白髪の男は私を見上げた。このゴルフコースのオーナーの息子だということで、私は倶楽部内では広く顔を知られていたが、白髪の男は私を知らないようだった。
「若造、このホールを回ったことがあるか?」白髪の男は訊いた。
「いいえ、今日が初めてのラウンドなんです。他のコースでは何回かプレーをしたことがありますが、このコースは今まで参加する機会がなかったもので」私はできるだけ丁寧に返事をした。
「あなたは、確かオーネスト伯の御子息でしたよね」小男が割って入った。そして白髪の男を振り返り、「ウィンチェスターのオーナーの御子息ですよ」
「それは失礼致しました」白髪の男はかぶっていたハンチング帽を脱ぎ、立ち上がってお辞儀をしようとした。私は慌てて白髪の男を制した。
「このコースは父のものであって、私が築き上げたものではありませんから」私は慇懃無礼にならないように、できるだけ誠実に返答した。白髪の男が席に着くのを待って、私はコーヒーを一口すすり、そして尋ねた。「ホールがプレイヤーを見下すとおっしゃいましたが、それはどのようなわけで?」
白髪の男は一瞬躊躇(ためら)ったような顔をし、そしてしばらくしてから言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で言った。「いや、老人の戯言と思って、忘れていただけないでしょうか」彼は私から視線を逸らし、小男の方を助けを請うように伺い、そしてビールのジョッキをぐいと空けた。
「何かお気に障ることでもおありでしたら、私から父に話すこともできますが」私が何気なくそう言ったときの、白髪の男の反応は、私の予想を遥かに超えるものだった。
「いえ! そんなことは!」彼は勢い込んで立ち上がり、覆いかぶさるようにして私を睨(にら)みつけたかと思うと、再び座り込んで深く嘆息した。「忘れてください」彼は繰り返した。
「ジョニー老は、十六番ホールについてお話するには、少し心臓が丈夫ではないからな」小男が助け舟を出して、自らのジョッキを手に私の隣に座った。「ウィンチェスター卿、もし宜しければ、私からお話し致しますが。但し、あくまでも私やジョニー老の個人的な意見で、全てのプレイヤーの総意と思ってもらっては困るんです。いや、私だって、本当に信じているんだかどうか」
「ランカスターです」私はにこやかに笑って続けた。「私のことは、ランカスターと呼んでください。あなたのお名前は?」
「ロックです」小男は手を差し出した。私は彼の手をがっちりと握った。節ばった、固い手だったが、それは思いのほか力強かった。
「では、ロックさん、父のゴルフコースに何か問題でも?」
「問題というほどのことではないのですが」ロックはビールのジョッキを傾けながら話し始めた。「どのプレイヤーも、十六番ホールでいつも挫折するんです。ホールアウトした人は全体の半分もいませんよ。十六番ホールで大抵の人は諦めてしまいますから。私も例外じゃありません。何度も十六番ホールでつまずきました。ようやく十七番ホールに進んでも、大抵ダブルボギーとか、プラス三とか、散々なスコアを叩いてしまうものですから、がくっと成績が落ちるんです」
「それは、十六番ホールがそんなに難所だということですか?」私は興味を削がれるのを感じながら尋ねた。難しいホールなら、どのコースにも一つや二つはあるだろう。
「いや、そんなことはありません。あなたはまだラウンドしたことがないと仰っていましたから、十六番ホールをプレーしたことがないと思いますが、見たところはそんなに難しいという印象はないんです。ティーからまっすぐにフェアウェイが伸びていて、左に少し曲がって、ティーからは見えないところにグリーンがあります。距離にして三五〇ヤードほどです。パー四。起伏はほとんどなく、グリーンの近くに小さな池がありますが、フェアウェイから見るとよっぽどフックさせないとはまりません」
「プレーをしたことがないから何とも言えませんが」私はできる限り穏やかに言った。「他のコースよりも格段に難しいとは言えないでしょうね」
「そうなんです」ロックは我が意を得たりとばかりに頷いて、隣のジョニー老をちらりと見たが、老人は目を伏せたまま、ビールジョッキを覗き込んでいた。この話には触れたくないと言わんばかりだった。「ですが、先ほども申し上げたとおり、大体の人は十六番ホールでギブアップしてしまうんですよ。風の影響とか、グリーンが見えないことが原因だと思いますが」
「そうか、それなら、私も一度回ってみようかな。私は父のコースにはまだ行ったことがないので」
「いや、やめといた方がいいですよ」ジョニー老が口を挟んだ。「コースの持ち主のご子息にこんなことを言うのもなんですが、あそこはついこの間まではそんなに厳しいコースじゃなかったんです。ですが、二か月程前のある日を境に、急に難所になってしまいました。それ以来、コースをラウンドする人も少なくなりましたし、何より、ホールアウトする人があまりいないんですから」
「ある日を境に?」私は怪訝に思って尋ねた。「何か、父がコースをいじったりしたのかな」二か月前と言えば、ちょうどコースに定期的なメンテナンスが入った頃だ。いつもの点検よりも、心持ち長い時間がかかったような記憶はあったが、私はさして頓着しなかった。もしかしたら、その時に点検係の気になることでもあったのだろうか。私は物思いにふけり宙に視線を彷徨わせたが、その刹那、ロックとジョニー老がこっそり目配せするのを見てしまった。
「いや、あまり気にしないでくださいませ。老人の戯言に、ウィンチェスター卿のご子息を煩わせることもありますまいて」ジョニー老はそそくさと呟くと、「では、私はこれで」と言って、ジョッキを一気にあおった。彼の喉仏が健康的に突き出したり引っ込んだりする様子を、私はただ漠然と見ていたが、ロックも腰を浮かした。
「では、私も失礼致します」ロックはそう言うと、ジョニー老の肩に手をかけ、二、三回、慰めるように叩くと、私を置いてラウンジを出て行ってしまった。私は一人取り残されたまま、コーヒーカップに口をつけた。中の琥珀色の液体はすっかり冷めていた。
私はロックとジョニー老の話を頭の中で反芻しながらクラブケースを担ぎ上げ、このまま一人でラウンドすべきか、それとも誰か知った友人でも来るのを待って一緒にプレーすべきか、しばし逡巡した。だが、一人で回るのも気が引けたし、友人が来たとしても自分の絶好調のプレーができるとも思えなかった。今日のプレーはキャンセルすることにして、自宅に戻った。

「お父さん、ゴルフコースのことで訊きたいことがあるのですが」その晩、私は父親と夕食を共にし、食後のコーヒーを飲みながら何気なく切り出した。母は、詳細は知らぬが、二か月前に謎の失踪を遂げていた。当局が心当たりを捜索し、父もすこぶる捜査に協力的な姿勢を見せたが、彼女の行方は杳として知れなかった。一か月ほど経って、父は当局に捜査を継続してほしいこと、しかし規模はできる限り小さくしても構わないことを告げた。そして応対した警察官の一人に、覚悟はできていると悲しそうに語ったのを私は聞いてしまった。父は私に対して、母の原因不明の失踪について説明しようとはしなかったし、私も父に訊くことはなかった。恐らく、貴族としての体面も気にしていたことは間違いないだろうと、今の私ならば想像できる。
父は、往年の体力は衰えていたが、気力はまだまだ充実していて、老後の人生を楽しもうという気概に満ち溢れていた。精力的で、野心的で、活動的な父親の姿に、私は子どもの頃から畏怖の念を禁じえなかった。父は、母が行方不明になったときには精神的にかなりの打撃を受けたようだったが、今では見事に立ち直り、事件が起こる前以上に好奇心旺盛になったように見えた。だが、寄る年波には勝てなかったのか、今ではゴルフクラブを振るうこともほとんどなくなり、もっぱら杖を突いての散歩と、庭の手入れ、それとたまに顔を出す社交倶楽部でのカードゲームに生き甲斐を見出していた。
「そう言えば、今日はお前の初めてのコースラウンドだったな。どうだった? まさかかなり叩いたんじゃあるまいな」父は笑みを浮かべて私を眺めた。
「いや、今日はコースには出なかったんです。実は、ウィンチェスターコースで不思議な噂を聞いたものですから」私は父の笑みが一瞬にして強張るのを見た。何か悪いことを言ったのかと思ったが、言いかけてやめるには遅すぎた。「お父さんは、ロックという小柄な壮年の男性と、ジョニーという初老の男性をご存知ですか?」
「ウォルター・ロックじゃな。鍛冶屋を営んでいる田舎者じゃ。ロックなどといういい名前を持っているのに、完全に名前負けをしとる。ジョニーは……聞いたことがあるな。はて」父は少し首をかしげていたが、やがてぽんと膝を打った。「ああ、あのジョニーじゃ。ジョニー・ワイズ。今は年金暮らしで、リウマチの薬をもらいに行くのが関の山の老人じゃ。ところで、その二人から何か世迷いごとでも吹き込まれたのか、ランカスター?」父は再び笑いながら、私を促した。
「いえ、その二人が、コースの十六番で大叩きをするという話をしていましてね」私は平静を装って何気なく続けた。どうして気が動転するのか、私にも分からなかった。「そんなに難しくないコースなのに、いつもギブアップをしてしまうと言っていました」
「個人の力量をコースのせいにするのは、下手くそのやることじゃ」父は笑いながら言った。「わしが若かった頃は、九十で回ったこともあるのだぞ。しかもハンディなしでな。十六番ホールは……よくは覚えておらんが、パーで回ったような記憶があるが。駄目じゃな、もうだいぶ昔のことで記憶がはっきりせん。だが、それほど気になるコースでもなかったような気がするがな。何かあれば、わしも覚えているはずじゃ」
「そうですか。田舎の噂なぞは、大抵そんなものですね」私は肩を竦(すく)めて、至極何気ない風を装って言った。「私も、明日はコースを回ってみることにします」
「お前には、後々ウィンチェスターコースを引き継いで管理してもらわなければならないのだから」父は、なぜか安堵したような様子で言った。「一度は自分のコースをラウンドしてみるといい。風の匂い、芝の生え具合、グリーンの傾斜。チェックすべきところはいくらでもある。だが、何より大事なのは、コースを感じることだ。たとえグリーンやバンカーが見えなくても、そこに何かがあると感じること、これが肝要じゃ」
「はい」父の言いたいことが良く分からなかったが、聞き返そうという気は失せていた。私は気分を変えるように、努めて明るく言った。「明日はトンプソンとガルシアが来る予定なんです。三人でラウンドしてみます」
「お前さんの悪友の登場じゃな」父は笑いを嚙み殺しながら言った。「まあ、せいぜい楽しむといい」そう言うと、父は葉巻室に向かった。私も笑いの表情を顔に貼りつけたまま、父の後に従った。

 翌日も昨日と同じように澄み渡った青空だった。私の学生時代の友人のトンプソンとガルシアは、二人とも本来の学業はぱっとしなかったが、ゴルフの腕前にかけては大学で一、二位を争うほどだった。私は彼らとポーカーを嗜みながら、いつの日か、自分のコースに二人を誘いたいと思っていたのだ。昨日はその下調べのつもりだったが、なに、今日のラウンドでは、二人から少しハンディをもらえばいい。
 トンプソン・ウィルコックスは短く刈り込んだ金髪がトレードマークで、特にホイストの腕は一流だったが、たまに強引に勧められてカードのテーブルに着く程度で、彼自身が賭け事やカードに熱中することは決してなかった。彼の家族は昔は裕福だったらしいが、今は零落し、かつての貴族の矜持と経済的現実との狭間で苦しんでいたはずだ。だが、トンプソンはそんな素振りを決して見せなかった。いつも優雅に紙巻タバコをくゆらせて、人生を謳歌しているような風体をしてみせていた。
 ガルシア・フェルナンデスはその名が示す通りスペイン出身の若者で、かつてはバルセロナで財を成した一族の末裔だった。ヒスパニックの特徴をそのまま受け継いだ快活な青年で、彼はその人柄の良さゆえにいつも学友たちに囲まれていた。長く伸ばした髪の黒さも、同じく瑪瑙(めのう)のように輝く黒い瞳も彼の魅力を存分に引き出していた。彼は政治哲学を専攻していたが、その退廃的な思想からなかなか抜け出すことができず、必修のギリシャ哲学には目もくれずに、毎晩左翼的な会議に参加していた。母国でファシストのフランコ将軍が政権を握りそうだ、と言って彼はいつも嘆いていたが、私にはその嘆きがさっぱり分からなかったし、今も分かろうとは思わない。貴族の享楽は、政治思想に勝る。
 トンプソンとガルシアは午前十時ちょうどに来た。私は彼らの来訪を出迎え、三人でクラブとスコアブックを取りにクラブハウスに行った。閑散としていたが、シーズンオフのこの時期には珍しくもないことだった。ロックとジョニー老の姿はなかった。
「君のスイングはね」トンプソンは想像上のアイアンを振り回しながら私に説教を始めた。「左右のバランスが悪いんだ。だから、いつもフックしてしまう。もう少し、上体を安定させた方がいい」
「分かったような口を利く奴に限って、その中身は大したことがないんだよな」ガルシアは笑いながらトンプソンを小突いた。「だが、まあ、トンプソンのスコアが見事なことは認めるよ。ランカスターも俺たちのフォームを見習うといい」
 私はガルシアを小突き返して、ハンディをもらう交渉を始めた。彼らはすぐに承知し、私たちはコースを回り始めた。
 ハーフまでは、私は彼らとほぼ互角の戦いを見せた。スコアは、トンプソンが四十二で一位に立ち、ガルシアが四十五、私は五十だった。ハンディがなくても、これなら彼らにも引けは取らない、と嬉しく思った。トンプソンがハーフで休憩しようと言い出した。私とガルシアも同意し、近くの四阿(あずまや)でタバコを吸うことにした。ガルシアは、いつになくせかせかと紙巻タバコを吹かしていた。ランカスターに負けるわけにはいかない、と彼はぶつぶつと呟いた。トンプソンと私はそんな彼の子どもっぽい、幼稚とも言える振る舞いを笑って見ていた。
 十五番ホールまでプレーしたところでトンプソンは一位をキープし、ガルシアは四打差で二位、私はと言えば、途中の十三番のロングホールで大叩きをして十二打差をつけられていた。私たちはお互いのフォームやスコアを罪のない冗談を交えて指摘しあいながら、十六番ホールに辿り着いた。十六番ホール。パー四。緩やかな左に曲がるコース。だが、最初にティーグラウンドに立ったガルシアが、ドライバーを握って構えに入る前に、おや、という声を上げた。途端にロックとジョニー老の噂話が脳裏に蘇り、私は「どうした?」と彼に声をかけた。
 ガルシアはしばらくドライバーを杖代わりにしてホールを眺めていたが「いや、何でもない」と言って素振りを数回繰り返した。そして第一打を打ったが、ボールは右に大きくスライスし、藪の中に消えた。
「ガルシアはOBかも知れないな」トンプソンは笑いながらそう言って、自分の球を打とうとしたが、やはり彼もティーに入った瞬間に不審そうな顔をした。私は再び「どうした?」と尋ねた。
「いや、匂いがね……」トンプソンはもごもごと言ったが、頭を軽く振って、「今のは忘れてくれ」と言った。そして彼もドライバーを振った。軽やかな音がして、トンプソンの打球はフェアウェイの真ん中を一直線に飛んで見えなくなった。私はなぜか、トンプソンの打球がナイスショットになったことが我がことのように嬉しく感じられた。
 私が最後にティーに入った。私には、ガルシアが感じた躊躇(ためら)いも、トンプソンが気にした匂いも、何も感じられなかった。ドライバーを思い切り振り抜いた。私の打球はトンプソンの打球と同じ軌跡を描いて、フェアウェイの真ん中を飛んでいった。私は微笑んで二人を見やった。ガルシアは苦りきった顔をして見せ、トンプソンは軽く拍手をした。
 私たちは談笑しながらティーグラウンドを歩いていった。私はボールが落ちたと思しき場所を捜してみたが、私とトンプソンの球がどうしても見つからなかった。代わりに見つかったのは、ガルシアの球だった。右に大きくスライスして、ラフか、あわよくば森の中に飛び込んだと思ったのに、ガルシアの球だけがフェアウェイにころりと転がっていた。
「やや?」トンプソンは地面に印をつけて球を拾い上げたが、そこにはガルシアの球の目印である飾り文字でGをあしらったマークがついていた。「ガルシアのだ」トンプソンは嘆息して言った。「おかしいな。私とランカスターの球はどこへ行ったんだ?」
「案外、藪の中かもな」ガルシアは笑って言ったが、その笑みはどこかぎこちなかった。彼も、自分の打球がフェアウェイに転がっているのを不思議がっているようだった。「風のせいかもしれないぞ。俺たち、打球の落下地点までは見ていないからな」
 案の定、私とトンプソンのボールは、仲良く二つ並んで右側の森すれすれのところに転がっているのを発見された。二人ともOBは免れたが、深いラフにはまってしまい、なかなか脱出するのは大変そうに見えた。特に私の球は、大きな幹の根元に転がっていて、フェアウェイに出すだけで一打を費やしそうだった。
「これが実力の差かもしれないぞ」ガルシアはようやく不自然な笑みを崩すと、第二打をアイアンで打った。彼の打球はまっすぐグリーンに向かっているように見えた。ところが、打球が途中で風にあおられて、グリーン手前のバンカーにはまった。
 トンプソンの二打目も似たようなものだった。ラフによる障害か、トンプソンの打球は思ったほど伸びず、バンカーの手前まで来て、力なく止まった。二人ともツーオンに失敗したわけだ。私は一打を費やしてフェアウェイに球を戻し、三打目を打ったが、やはりバンカーにはまった。
 トンプソンは二打、私は三打を叩いたバンカーに入って軽く素振りをしてみたが、私たちの打球はいわゆる目玉状態のように深く入り込んでいるわけでもなかった。だが、トンプソンの打球はグリーンに乗ったかと思ったら、そのまま逆方向に転がり落ちていき、吸い寄せられるように再びバンカーに入っていってしまったのだった。トンプソンは落ち着きなく、紳士らしからぬしぐさでバンカーの砂を軽く蹴り上げた。
そのとき、何かきらりと光るものが目に入り、私は何気なくそちらの方に歩いていった。かがみこんで砂に半ば埋もれた状態の光る物体を拾い上げると、小さなルビーをあしらった、金色のイヤリングが私の掌に転がり出た。トンプソンとガルシアは愚痴をこぼしあいながら十七番ホールに向かって行ったが、私はしばし金色のイヤリングを手にしたまま、考え込んでしまった。二人について来ない私を見て、トンプソンが声をかけた。
「今行く」私はイヤリングをズボンのポケットに滑り込ませたが、急に重みがずしりとポケットに伝わり、私は愕然となった。
 これは、母のイヤリングかもしれない。失踪する直前まで、その小さな耳にきらめかせているのを、確かに私は見たことがある。

 結局、ガルシアは十六番ホールでトリプルボギーを叩いた。トンプソンは八打を費やしてプラス四、私はと言えば、十一打を叩いてプラス七という散々な結果に終わった。ガルシアは、普段はこんなはずじゃないんだが、と言って、忌々しげにバンカーと、パターで二打を費やしたグリーンを見やった。グリーンの芝目も他のホールに比べてきついわけではないのだが、打っても打っても、ボールがなかなか前に進んでくれないのだ。まるで何かの超自然的な力が、お前たちのボールはカップに入れさせないぞ、と警告しているようだった。
十六番ホールでの大叩きが影響したのか、一位のトンプソンでさえもスコアが百をぎりぎり切った程度だった。ガルシアは二位、私は心の動揺がショットに表れたのか、十七番ホールと最終十八番ホールでも大叩きをしてしまい、ハンディをつけても彼らに大差で負けた。私は二人にビールを奢ることになったが、これは我々にとってのいつもの余興である。三人でクラブハウスに向かいながら、私は二人の愚痴に耳を傾けた。
「あの十六番にしてやられたな」トンプソンはそう言って、ビールのジョッキを傾けた。ガルシアも頷いていたが、私はポケットのイヤリングに気を取られていて、二人の会話においていかれないようにするのがやっとだった。
「なに、私も苦戦したが、それでも君には勝ったぞ」ガルシアは笑いながらビールを飲み、私に目を向けた。私はぎこちなく苦笑いを浮かべた。「だが、僕の最初の一打は、てっきりラフに入ったと思ったんだがな、正直に言うと」
 私は作り笑いを崩さぬまま、クラブハウスを見渡した。幸いなことに、ロックとジョニー老は来ていなかった。何故幸いなのか、私にもその理由は分からなかった。
 私は右側のポケットの重みが気になって、早く二人とおさらばしたいと思っている自分に気がついた。何故二人と別れなければいけないのか、何を焦っているのか、そのときには理由がさっぱり分からなかった。ただ、誰か、いや、何かが私を急かすのだ。いらいらと両足を揺り動かさずにはいられない。
 私が押し黙ったままでいるのを見かねたのか、トンプソンとガルシアは帰り支度を始めた。私はと言えば、彼らと形式的な挨拶を交わし、また手紙を書くよ、という愛想を一つ付け加えただけだった。無論、私たちの間柄には手紙を書き合うなどというよそよそしい関係は存在しなかった。だが、トンプソンもガルシアも、そんな私の様子をおかしいと感じたようではあったが、無理に問い詰めようとはしなかった。
 トンプソンとガルシアがそそくさと帰路につき、私は一人クラブハウスでぼんやりとコーヒーを飲んでいた。クラブハウスは閑散としていたが、遅い昼食を食べている人たちが何人かいた。私は、聞くとはなしに彼らの四方山話に耳を傾けていたが、その中で「十六番ホール」という単語が飛び出してくるのを聞いて、椅子から転げ落ちそうになった。心臓が早鐘を打ち、私は残りのコーヒーを飲み干すと、これからしなければならないことを頭に思い浮かべながら、クラブハウスを後にした。

 その夜、私は父が寝室に入るのを見届けると、こっそりと石油ランプとランタンを持って外に出た。秋の夜風は火照った体に気持ち良かったが、その時の私には季節の変化を味わうだけの心の余裕はなかった。まっすぐに倉庫に向かうと、奥の方に埃(ほこり)とクモの巣だらけのスコップとつるはしを見つけて、手に取った。私の心と同じく、ずしりと重かった。
 今でも、私は自分が何をしようとしていたのか分からない。一体何を期待していたのか、何が見つかるのか、何が見つかって欲しいのかも分からなかった。ただ、知りたいという欲求だけがあった。その欲求ですら、果たして私が何を知りたいのか、それすらも曖昧模糊としていて、正直なところ、五里霧中だった。とにかく悶々としたこの気持ちを晴らすために、何らかの行動に移らなければならなかったのだ。
 私は黒ずんだスコップとつるはしを肩に担ぎ上げて、車に向かった。この二つを車の後部のトランクに投げ入れ、そのまま車を走らせた。行く先は、認めたくはなかったが、もう既に分かっていた。ウィンチェスターカントリーコース、十六番ホールのグリーン脇のバンカーだ。車で行くほどの距離ではなかったが、私は車が後々必要になるであろうことを感覚的に察知していた。車を走らせてすぐ、秋の満月が分厚い雲に隠れたのが分かった。月明かりが消え、私は貧弱な車のヘッドライトを頼りにコースに向かうことになった。闇の中でクラブハウスが、遥か先の方で巨大な城のように浮かび上がった。
 車がクラブハウスの駐車場に着くと同時に、大粒の雨がぽたぽたと落ちてきた。雨粒は車のフロントガラスを最初は優しく、だが徐々に乱暴に叩くように落ちてきた。私はエンジンを止めると、雨に濡れるのもかまわずに車から降りた。ランタンに火を入れて、スコップとつるはしを肩に担いで歩き始めた。風が急に冷たくなり、思わず身震いした。クラブハウスから十六番ホールまでは歩いて十分ほどの距離だった。雨が強くなり始めた。容赦なく顔を叩きつける雨水を片手で拭うと、湿った芝生の上を踏みしめるように歩き始めた。
 夜に見るゴルフコースは、昼間の快活さとは打って変わって妖魔の巣窟のような静寂に包まれていた。絶え間なく振り続ける雨音が、その静寂に拍車をかけた。まさしく魔所と呼ぶにふさわしい場所だった。林立する木々の端々から、こちらをねめつけるようににらむ子鬼のような姿が見えたような気がした。だが、目をそちらに向けると、決まって小悪魔めいた視線はその気配を消し、ただ黒々とした森があるだけだった。
刈り込まれたフェアウェイや、生い茂ったラフの草々が魔女の指の如く靴にまとわりついた。私は途中で息を継ぐために一度立ち止まった他は、全く休むことなく足を前後に動かし続けた。一度でも逡巡する機会があれば、このまま踵を返して邸宅に帰り、温かいベッドで何も知らずに眠りたいという誘惑に負けそうな気がした。ここで休んだら負けだ、という強迫観念にも似た感覚が体中を駆け抜ける。
十六番ホールのティーグラウンドに着くと、再び立ち止まって、顔から雨だれを跳ね除けたが、すぐにスコップとつるはしを担ぎなおして進み始めた。左に曲がるとグリーンが見えるはずだ。そして、その横に鎮座するバンカーも。ようやく目的のバンカーに辿り着くと、スコップとつるはしを脇に突き刺し、額から汗と雨水を拭った。だが、それも束の間のことだった。右ポケットにあるイヤリングを強く意識しながら、バンカーをスコップで掘り起こし始めた。降り続く雨を吸ってバンカーはぬかるみ、スコップの一かき一かきがずしりと腕にのしかかった。
 私は一心不乱にバンカーを掘り下げた。バンカーの砂はほぼ取り除かれ、砂の下から地面がむき出しになった。固い土が出てきたと思い、スコップをつるはしに持ち替えると、思い切り地面につるはしを振り下ろした。だが、予想に反して、つるはしは一気に根元まで地面にめり込んだ。誰かが一度掘り起こした後に違いなかった。雨水を吸っているとはいえ、あまりに土は柔らか過ぎた。私はスコップとつるはしを器用に扱い、徐々にバンカーを掘り起こしていった。果たして何が見つかるのかは考えないようにした。
 バンカーを掘り起こし始めてかれこれ二時間弱が経過し、深さは一メートル近くに達した。何度目になったか、スコップを振り下ろすと、カタンという軽い音がして、何か硬いものがスコップの歯に当たった。私は注意深くランプの光を穴の底に当てて見た。焦げ茶色の何かが、地面に埋まっていた。一抱えもある、大きな箱のようだった。私は箱を傷つけずに注意深くスコップとつるはしを使いながら、箱を徐々に掘り出していった。
「何をしておる」
 突然後ろから誰何(すいか)の声をかけられて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。雨の音で、相手の足音が聞こえなかったのだ。だが、振り向く前から、その人物が誰か分かっていた。相手が持つランタンのせいで、ゆっくりと振り向いて見えた姿はシルエットになっていて、判然としなかった。しかし、その体型だけは馴染みのあるものだった。そう、長年見慣れた人物の身体。
「お父さん」私はシルエットに向かって語りかけた。相手は押し黙ったままだ。「そろそろ、本当のことを話していただけますか。二か月前の、私の母の失踪についてです」
相手は何の返事もせずに、ただ私をずっと見ていた。私は続けた。「言いたくなければ、私から言いましょうか。頭がはっきりせず、そもそも直接見たわけでもないのですが、今ようやく押さえつけていた記憶が蘇ったような気がします。お父さんは、どうしてかは分かりませんが、母を殺したんです。そして、死体をここ、十六番ホールに埋めた。それから、なるべく人が近寄らないように、密かに十六番ホールを難所に仕立て上げた。お父さんが言っていた、『ホールの匂いを肌で感じて、感覚をつかんで』難しいホールにしたんです。母の失踪は、ちょうどコースの整備の時期と重なっています。お父さんの力を使えば、母の遺体を遺棄することくらい、簡単なはず」
「私のことは『お継父さん』と呼んでもらおうか」影は冷徹に言った。雨足はますます強くなり、相手の表情が読み取れない。「お前は私の実の子ではない。あれと——お前の母親と情夫との間に産まれた子どもだ。私はそれを二か月前に知った。私が妻とこの十六番ホールをラウンドしていた時に告白されたのだ。私は妻の不貞がどうしても許せなかった。辺りには誰もいなかった。私は持っていたパターであれの頭を思い切り殴りつけた。あれは悲鳴も上げずに、虫けらのようにその場に倒れて昏倒した。誰にも見とがめられる心配はなかった。その日は私と妻の二人きりのラウンドだったからだ。だが、私は用心に用心を重ねた。私はクラブハウスのスタッフも含めて大急ぎで人払いをして、木箱にあれを入れて、その場に埋めた。お前が今立っている、その場所に」 
 私は驚愕の事実に身を震わせた。影は私の様子を見て、微かに笑んだようだった。そして容赦なく続けた。「一つだけ訂正させてもらおう。私はこのホールをなんらいじくり回してはいない。あれが、何とかして自分の存在を誰かに気づいてもらおうと、この十六番ホールをわざと難しくしたのだ。まさしく、ここは魔所なのだよ、ランカスター」
「……そこまで知っていながら、何故このコースをそのまま一般に開放しているんです?」尋ねずにはいられなかった。だが、相手の反応は私の予想外のものだった。
「私にとって、ゴルフは全てだった。あれのことなど、どうでもよい。あれの魂か亡霊か——そんなものがあったとしてだが——十六番ホールをどうしようと、このウィンチェスターコースを閉鎖するわけにはいかぬ。ここはわしのコースなのだぞ」
「ならば、永久にコースに出ているといい!」私はいきなり沸き上がった怒りに任せて叫ぶと、影めがけて跳びかかり、手に持ったスコップを相手の頭上めがけて振り下ろした。スコップの歯が狙い過たず父——いや、継父——の脳天に食い込むと、父は何も言わずに後ろ向きに昏倒した。ぐしゃりという、嫌な感触がスコップ越しに腕に伝わった。相手の頭蓋骨を叩き割ったのだ。血飛沫と脳漿が雨の空に混じって、私の体を濡らした。

 後のことはくどくどと説明するまでもあるまい。私は父の死体をバンカーまで引きずり下ろし、母が眠る穴の中に放り込んだ。雨はますます激しくなり、土は水をたっぷり吸って重たくなったが、雨が私の行動を何か他の人物——ないしは動物——の視線から隠してくれたような気がして、かえって嬉しかった。
私は小一時間ばかりかけて、二つの死体——一つは箱の中にあり、もう一つはむき出しのまま——に土をかけて埋め戻した。不思議と動揺はしなかった。むしろ、この結末を予想していたような気がした。愛する母親と一緒になれて、父もさぞかし幸せなことだろう。たとえ母に裏切られて、ねじくれた愛情になってしまったとしても、かつて二人は心底愛し合っていただろうから。
 それに、死体は不貞を決して働かない。
 自然にそうした考えが沸き起こり、僅かにこみ上げてきた罪悪感を清々しいまでにかき消した。父は帰るところに帰るのだ。母親と、生涯をかけて築き上げたゴルフコースに。
 翌日、私は父が「行方不明」であると当局に伝えた。恐らく狂乱して母を探しに行ったのではないか、とかなんとか適当なことをでっちあげて、警察への「説明」の代わりとした。奇跡的なことに、当局の必死の捜査にもかかわらず、父の死体も——そして母の「木箱の棺」も——発見されなかった。どういうわけか、警察はゴルフコースの捜査だけはいい加減なまでにおざなりだったのだ。しばらくして、私は——かつて父が母に対してそうしたように——裁判所に両親の公的かつ法律上の死亡を認めてもらった。こうして、私は晴れてウィンチェスター卿としてゴルフコースを含む遺産の全てを相続した。煩雑で無意味な書類に機械的に署名し、全ての手続きを終えるだけの、簡単な仕事だった。
 ゴルフコースのオーナーとなって、まず一番にやるべきことは決まっていた。あの日と同じように雨の降りしきる中、裁判所を出た足で直接クラブハウスに行くと支配人を呼び出し、私は厳粛にコースの閉鎖を告げた。それと同時に、家にあったドライバーやアイアン、パターの全ての類を二束三文で売り飛ばし、ゴルフに関係する書物や雑誌を全て焼き捨てた。ゴルフボールは五百個以上あったが、それらも全て処分した。もしかしたら私の突然の行動を奇異に思った輩もいたことだろうが、そんなことは知ったことではない。後で聞いたところによると、ロックとジョニー老以外のゴルファー——その中には友人であるトンプソンとガルシアも含まれていた——は伝統あるウィンチェスターコースの閉鎖を嘆き悲しんだようだったが、私は自分が庶子であることを突きつけるゴルフという競技から一刻も早く足を洗いたかったのだ。だが、あの忌まわしいゴルフコースだけは容易に売却するわけにはいかない。理由は、今更くどくど並べ立てなくても、聡明な君なら察することができるだろう。
 こうしてウィンチェスターコースは、その十六番ホールの難度だけが伝説となり、今ではごく僅かの人しか思い出すことのない場所に成り果てた。だが、私にとっては、今でもウィンチェスターコースを含めたゴルフコースは、依然として魔所として君臨し続け、そしてゴルフという競技そのものも暗澹たる雰囲気を私に与えるだけの代物と化してしまったのである。
 以上で私の告白は終わりだ。君がここまで話につき合ってくれたことに、感謝したい。おや、どこへ行くのかね? 警察かね? まあ、それも良かろう。もし、当局が君の話を真に受け、そして由緒ある現ウィンチェスター卿である私を殺人罪で告訴し、社交界に一大スキャンダルを巻き起こすことができるものならね。