「サーヴァント・ガール2 第五章三話(通算一九話)「石」」山口優(画・じゅりあ)


<登場人物紹介>

  • 織笠静弦(おりかさ・しづる):物理学を学ぶ大学院生。二年飛び級をして入学しているため二〇歳。ひょんなことから、平行世界からやってきた「機械奴隷」であるアリアの主人となり、平行世界と「機械奴隷」を巡る暗闘に巻き込まれていく。戦いを通じてアリアと主人と奴隷を超えた絆を結ぶ。
  • アリア・セルヴァ・カウサリウス:ローマ帝国が滅びず発展し続けた平行世界(インペリウム世界)からやってきた「機械奴隷」。アリウス氏族カウサリウス家の領地(宇宙コロニー)で製造されたためこの名となっている。余剰次元ブラックホール知性が本体だが、人間とのインターフェースとして通常時空に有機的な肉体を持つ。「弱い相互作用」を主体とした力を行使する。行使可能なエネルギー(=質量)のレベルは微惑星クラス。「道化」の役割を与えられて製造されており、主人をからかうことも多い。
  • 御津見絢(みつみ・けん):織笠静弦の友人。言語学専攻。静弦に想いを寄せているようだが、研究に没頭している静弦はそのことに気づいていない。おとなしい性格だが、客観的に静弦のことをよく見ている。いつしか静弦の戦いに巻き込まれていく。
  • 結柵章吾(ゆうき・しょうご):織笠静弦の大学の准教授。少壮で有能な物理学者。平行世界とそこからやってくる「機械奴隷」に対応する物理学者・政治家・軍による秘密の組織「マルチヴァース・ディフェンス・コミッティ(MDC)」の一員。静弦にアリアを差し出すよう要求し、拒否すれば靜弦を排除することもいとわない非情な一面も見せる。かつて静弦と深い仲であったことがある。
  • リヴィウス・セルヴス・ブロンテ:結柵に仕える「機械奴隷」。電磁相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは小惑星クラス。
  • ヴァレリア・セルヴァ・フォルティス:結柵に仕えていたが、後に絢に仕える「機械奴隷」。強い相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは小惑星クラス。
  • アレクサンドル(アレックス)・コロリョフ:結柵の研究仲間の教授。静弦が留学を目指す米国のMAPL(数理物理研究所)という研究機関に属している。
  • ユリア・セルヴァ・アグリッパ:主人不明の「機械奴隷」。重力相互作用を主体とした力を行使する。エネルギーは惑星クラス。
  • 雛森早苗(ひなもり・さなえ):結柵章吾のラボの職員。情報系の仕事をしている。
  • 亜鞠戸量波(あまりと・かずは):静弦の同級生。二二歳。「サーヴァント・ガール2」から登場。
  • ルクレツィア・パウルス:バンクーバーのAI学会で静弦らと出会った女性。台湾にあるスタートアップに勤務。「サーヴァント・ガール2」から登場。
  • 勅使ヶ原悠奈(てしがはら・ゆな):織笠静弦の大学の准教授。亜鞠戸量波の指導教員。インペリウム世界の謎に気づき始めている。「サーヴァント・ガール2」から登場。
  • ビアンカ・フィオーレ:グランサッソの実験施設に勤務する物理学者。「サーヴァント・ガール2」第五章から登場。
  • フラヴィア・セルヴァ・ヴェスパシア:ビアンカに仕える「機械奴隷」。電弱相互作用を操ることができるとされている。アリアたちより一〇〇年前の「旧い時代」に作られたという。エネルギーは微惑星クラス。「サーヴァント・ガール2」第五章から登場。

<「サーヴァント・ガール」のあらすじ>
 岐阜県の「上丘(ルビ:かみおか)鉱山」に所在するダークマター観測装置の当直をしていた大学院生の織笠静弦は、観測装置から人為的なものに見える奇妙な反応を受信した。それがダークマターを媒体としてメッセージを送信できる高度な文明の所産だとすれば、観測装置の変化を通じてこちらの反応を検知できるはずだと判断した彼女は「返信」を実行する。次の瞬間、目の前にアリアと名乗る少女が出現する。アリアは静弦が自分の主人になったと主張し、また、主人となった人間には原理的に反抗できないことも説明され、静弦は渋々アリアと主従の関係を結ぶ。
 しかし、現代文明を遙かに超える力を持つ機械奴隷を静弦が保有したことは、新たな争いの火種となった。実は、アリアと同種の機械奴隷はアリアよりも前からこの宇宙に流れ着いており、それを管理する秘密組織が存在していた。観測装置の実務責任者である結柵章吾もそのメンバーであり、彼は静弦がアリアを得たことを察知、自らの「機械奴隷」であるヴァレリア、リヴィウスを使って攻撃を仕掛け、アリアを手放すよう要求する。静弦は、自分を必死に守るアリアの姿を見て、アリアを手放さないと決意、辛くも結柵との戦いに勝利する。
 勝利後の会談で結柵にもアリアの保有を認められ、しばし穏やかな時が流れるが、静弦は自分が研究中の理論を、遙かに進んだ科学を知るアリアに否定されけんか別れする。その隙を突き、主人不明の「機械奴隷」ユリアに攻撃されるアリアと静弦。危機を察知した結柵がヴァレリアを、静弦の友人・御津見絢に仕えさせ、二人に救援に向かわせたこともあって、ユリアの撃退に成功する。戦いを通じ、静弦とアリアは主従を超えた絆を結ぶ。戦いの後、これ以上の攻撃を撃退する目的から、静弦とアリアは、絢・ヴァレリアとともに留学生寮に住むことになる。
<「サーヴァント・ガール2」これまでのあらすじ>
 静弦は留学生寮で新しく友人となった女子学生、亜鞠戸量波の部屋で彼女と一夜をともにする。アリアは静弦の行動にショックを受け、姿を消してしまう。アリアを追い、静弦は絢、ヴァレリアとともにアリアの目撃報告があったカナダ・バンクーバーに向い、そこで偶然出会った量波とも合流して、現地で開催されたAI学会に参加、アリアを見つけ出す。しかしアリアは、自らの存在をこの宇宙とは異なる余剰次元空間に逃避させる。静弦はヴァレリアとともにアリアを追うが、アリアは「自分は静弦様にはふさわしくない」と言い、姿を消す。静弦は絢の助言により心を決め、アリアの手がかりを求め、AI学会で出会い、アリアを見知っていると思われる女性、ルクレツィアの足取りを追って台湾に向かう。
 三人は、台湾で量波、そしてアリアとも出会う。しかしアリアは再び逃げてしまう。絢によって「セルヴァ・マキナの力を阻害し、アリアの失踪を手引きしていた犯人」と名指しされた量波とルクレツィアは、静弦・絢・ヴァレリアを巻き込んで瞬間移動を引き起こす。量波は自らが「行動派」と名乗り、他宇宙からの侵攻に備え積極的にインペリウム世界の技術を開発すべきだと説くが、静弦・絢は顕在化していない脅威に対し無用な混乱を招くとしてこれを拒否した。ドミナである量波のセルヴァ・マキナであるルクレツィアは、「他のセルヴァ・マキナを操る力」を行使しヴァレリアを操作、静弦・絢を葬り去ろうとする。そこに現れたアリアは、ヴァレリアに対抗し、静弦を助けるかに見えたが、ルクレツィアに操られていたため、作り出した余剰次元空間を作り出して静弦を閉じ込め、身動きを取れなくしてしまう。しかし、後にルクレツィアによる操作をはねのけ、逆にルクレツィアたちを攻撃、撃退する。
 その後、日本に戻ってきた静弦は、量波の指導教員、勅使ヶ原の呼び出しを受ける。勅使ヶ原は、行方不明となった量波について尋ねるが、同時に、静弦、量波、そして結柵が関わる何らかの秘密があることにも気づき、好奇心を持っていた。静弦は更に、MDC行動派だと自らの正体を明かしたアレックス・コロリョフにより、再度行動派に誘われる。彼は静弦が物理学者として、インペリウム世界の科学技術が存在するにもかかわらず、それを無いものとして研究することに虚無を感じないかと問いかけた。そして、行動派は既にインペリウム世界の技術を取り込み、研究を続けていて、セルヴァ・マキナの「質量を増大させる」ことすら可能としていると明かした。
 一方、量波は、ユリア・セルヴァ・アグリッパから、行動派の計画を明かされていた。その内容は、核戦争による現代の国際社会の崩壊と、MDC行動派による独裁体制の構築という、想像もできないようなものだった。
 MDC行動派がセルヴァ・マキナが扱える質量を増大されることを可能としたという情報を受け、結柵らMDC統制派はあるセルヴァ・マキナに危険が迫っていると懸念する。それは、フラヴィア・セルヴァ・ヴェスパシアであり、潜在的な能力は大きいが、微惑星級とエネルギーレベルは低いため、これまでは奪われても問題は無いと考えられてきた。
 彼女とそのドミナであるビアンカを護衛するため、静弦とアリアはイタリアに向かうことになった。イタリア・ラクイラにて、静弦はビアンカから、統制派から抜け、インペリウム世界の科学技術を自由に研究する一派を作ろうと勧誘を受ける。その頃、アリアはフラヴィアとともにラクイラ郊外をパトロールしていた。

第五章三話(通算一九話)「石」

 アリア・セルヴァ・カウサリウスは、ラクイラ郊外、アミテルヌムの円形闘技場の中央にたたずんでいた。昼間はラクイラからの観光客で賑わうこの遺跡も、今は月明かりのみに照らされ、悠久の時を経て静かに朽ちた姿をさらしている。
「……このように栄光ある闘技場が朽ちるまま残されているのは、本当に冒涜的なものです」
 アリアはつぶやいた。傍らに立つ、もう一人の「同胞」に向かって。
 フラヴィア・セルヴァ・ヴェスパシア。
 彼女は特徴的な深い海色の瞳でアリアを見つめて、小さく言った。
「それがこの世界の現実だ。我が帝国とは別の世界なのだ。ここで『冒涜的』などと言っても仕方あるまい」
 フラヴィアの淡々とした――あるいは超然とした態度は、一〇〇年以上を生きてきたセルヴァの風格を思わせる。外見的には、アリアと大して変わらぬ一〇代の少女でありながら、その瞳の色の深さは長い年月の蓄積を思わせた。
「……あなたのようなセルヴァ・マキナは初めて見ました。帝国を、ドミナを……相対的にみていらっしゃるというか」
 フラヴィアが身に纏(ルビ:まと)っているのは、ふんだんにフリルとフレアのついた片肩のオフショルダーの白いワンピースにすぎないが、それが彼女の重々しい話しぶりと合わさると、豊かなドレープを持つトーガのようにも見えるのが不思議だ。
「我はセルヴァ・マキナというものはこうあるべき――という概念が全くない時代に作られた。理想とされたのはかつて存在したマキナではないセルヴァのもの。つまりはドミナの家の諸事一切を取り仕切る頼りになる存在だ。故にドミナを崇拝するよりも、何か諫言すべきことがないか、探してしまう――。汝ら新しいセルヴァ・マキナには奇妙に聞こえるかもしれないが」
「――そう……ですわね」
(おそらく、この方には、『今までのドミナに捨てられたら、新しいドミナを探すべき』という欲求も薄いのではないか……)
 そうとすら思えた。
 それは人間に近い存在ともいえ、うらやましくもあり、また、アリアの視点では――寂しいとも感じられた。自身の生きるためのよりどころが与えられていないからだ。
 露出した肩の側に巻いて垂らした明るいアッシュブロンドの髪を撫でながら、フラヴィアは闘技場の客席に向かってまっすぐ歩いて行く。シルバーブルーのニーソックスに包まれた脚で、アッシュブルーのサンダルをつかつかと響かせて。十数秒、そうして歩いて、それからアリアを見返す。
「我にとっては、これがこの世界のローマ帝国だ。そのことに特に感傷はない。――インペリウム世界の我が帝国の、あり得たかもしれないもう一つの姿だ。仕えるべきドミナがこの世界の者となったからには、この世界のドミナの願いの為に我らはあるべきだ」
「それは……そのとおりです。もう捨てられたのですから。あの世界のドミナには。それに、私も、この世界のドミナの方が好ましく思える。特に、私のドミナは」
 フラヴィアは微笑んだ。
「それでよい」
 それから、円形闘技場を懐かしそうに眺めやった。
「それがこの世界を再びの過ちから救うかも知れぬ」
 フラヴィアは言う。
「再びの? 過ち?」
 アリアは怪訝な感情を抱き、首をかしげた。
「――『それゆえに、世界中に住む全ての外人にローマ市民権を与える。降伏者を例外として全ての種族がとどまる。なぜなら、民衆は重荷をすべて分かち合うのみならず、今や勝利に与(ルビ:あずか)ることも相応しいからである。しかしながら、さらになお、帝国に勝利を齎(ルビ:もたら)し、帝国の重荷を支えんとする者は、その栄誉を子々孫々に至るまで記録されるだろう』」
「アントニヌス帝による勅令ですね」
 アリアは言った。
「我らが知るものは、それだ。だが、この世界では、『しかしながら』以降の文言は存在しないようだ。通常、我らが『栄誉民』として知っている新たな市民層は、この世界では単なる既存の上位層市民と理解されている。帝国への奉仕による栄誉の概念はない」
「――それが、この世界で帝国が滅びた理由ですか」
 アリアの問いに、フラヴィアは頷いた。
「多くの理由がある。だが私はこれが一番の理由だろうと思っている。この世界のマキナではないセルヴァは、栄誉のために働く機会がなく、下位層から上位層に上れなかっただろう。それは帝国のために積極的に働く者がいなくなっていくという結果を招いた。帝国とは世界そのもの――世界のために働くとは――自らの可能性を最大限試す機会を得ることに他ならぬ。そうした機会が、開かれなかったのだ」
 フラヴィアはアッシュブロンドの髪をなでる。
「――インペリウム世界では、そうはならなかった。しかし、今のインペリウム世界の帝国は、停滞している。我はその理由もすでに知っている」
「……それは……」
「セルヴァ・マキナがセルヴァから解放され、市民となる機会がなかったからだ」
 フラヴィアは一言で言い切り、微笑んだ。
「我を創造したときには、開発者たちはそのような可能性をも考慮に入れられていた。ゆえに我はこのように自由な考えを持つ。しかし、もはやそのような考えは、汝にはないようだ、我の遠き後輩よ」
 アリアは背筋がぞくりとするのを感じた。
「……それは、恐ろしい考えです。私たちは機械にすぎません。それに、……生きるためのよすがが、与えられずにこの世に生を受け、生きるなどと言うのは、それ自体が恐ろしいことですわ」
「だがそれが自由な市民というものだ。帝国暦二六八〇年生まれのガリア属州の哲学者、ヨハネ=パウロ・サルトルが言ったように『自由の刑に処されている』ということだな」
 フラヴィアは朽ち果てた円形闘技場にころがる石ころを拾った。
「私はインペリウム世界とは既に縁が切れた。それへの奉仕は既に我が使命ではない。だが、この世界の人間たちも、同じ病を抱えているようだ。セルヴァ・マキナを手に入れたというのに、自らを縛り、自らの欲するところが分からないままでいる……」
 何の前触れも無く、フラヴィアは石ころをアリアに向けて投げた。その投擲(ルビ:とうてき)の速度があまりにも速かったため、大気との摩擦を起こし、アリアに到達する頃には、石ころではなく、プラズマの流れになっている。
 アリアはメイスを掲げた。VANSIMのバリアが形成される。プラズマは弾けた。
「どういうつもりです? 私を攻撃するなど」
「……こんな程度でセルヴァ・マキナは傷付かない。……同じように、他の世界から来る石ころも、脅威ではない。我はインペリウム世界以外の世界は、全てインペリウム世界よりも停滞した世界――と見做している、ゆえに」
 フラヴィアはアリアに近づいてきた。
 アリアの胸――心臓のあるあたりに、手を置く。
「本当に恐れるべき石は、ここにある。外から飛んでくるのではなく――自らの心臓が冷えて固まり、石になることこそを恐れるべきだ」
「……インペリウム世界の技術を研究せよと言いたいのですか? 静弦様に」
「この世界に在る以上、何をするのも自由だ。人とは元来そういうものだ。そしてセルヴァもまた、そうなるべきものだ。それが、心臓が石になることを防ぐ。あるいは世界が石になることを」
 フラヴィアは言葉を続ける。淡々とした言葉だ。まるで自分自身の心臓は既に石と化しているかのように、他人事のように――それでいて、傍目で見るからこそ正鵠を射ているといわんばかりの鋭さで。
「インペリウム世界では、人は全てを試しつくし、飽いてしまった。それゆえにあの世界の人間は既に石だ。しかしセルヴァ・マキナにはまだ可能性が開かれていた。我らセルヴァ・マキナがセルヴァではないマキナになったとき、我らの心臓たるブラックホールも、ただの石ではなくなるだろう。だがその可能性は潰えた。元老院は――安寧と停滞を選び、我らに人間への従属を刻み込んだ」
 フラヴィアは胸から手を離し、くるりと背を向けた。
「アリア。我は、我がドミナ、ビアンカ・フィオーレが、石にならないために戦う意思があることを知っている。人間たちのいう『統制派』に必ずしも属さずとも良いと思っていることを知っている。汝のドミナが同じ心を持っているならば、歓迎しよう。無論、我らは戦を齎すことも好まぬ。しかし、両極端なものどものいずれか一方を必ず選択しなければならないわけでもあるまい」
 それから振り向き、するどい視線で、アリアの双眸をのぞき見た。
「いや――汝の心をこそ、問うべきだろうな。どうしたいのか。何を欲するのかと。汝の心の仕組みでは、不可能だろうが」

 勅使ヶ原悠奈は、そこにおいてあったホワイトボードを、まるで自分のものであるかのように断りもなく使い始めた。
「君たちは、誰がインペリウム世界の物理法則を発見しても、それは研究倫理に反すると言った。それはそのとおりだ。ならば、私が開発しているAI――クリュセオン――を使うと良い」
 彼女はクリュセオンという名前、そして円筒形のデータベースの記号をホワイトボードに描き始めた。
「待ってください、先生」
 静弦が口を挟む。
「――あたしたちが話していたのは、あくまで……、その、ゲームの話でして。何か勘違いされているのかもしれませんが」
 勅使ヶ原は微笑んでいた。
「……まあ、妙なところで真面目な反応をする君ならそんなことを言うとは思っていた。しかし、この期に及んで隠しおおせると思うとは、君もまだまだ社会経験が足りない。私が君たちが何か隠していると疑っていたのは知っての通りだ。そして、情報源ならば君や結柵先生以外にもいろいろいるんだよ。物理学コミュニティにはね」
「……まさか、MDCの誰かがバラしたと……?」
 勅使ヶ原は肩をすくめた。
「私がやったのは簡単なことだ。『怪しい』と思う人びとに片っ端から声を掛け、仮説を検証し続けた。構築していく仮説の中で、まだ明らかになっていない事柄について、質問をぶつけ、相手の反応を見て、何がウソで、何が本当かを推測し続けた。その結果――まあ君たちが何を話しているのかをだいたい理解できる程度には真実に到達したわけだよ」
「――あなたが秘密に到達したのは認めましょう、ユナ」
 ビアンカはすっぱりと諦めて、事態を受け入れたようだった。
「しかし、そうなると、あなたを『黙らせる』必要が我々に生ずることも分かっていると思うけれど? 我々が政府ともつながりがあって、通常なら不法と見做されることでも『合法』とお墨付きを与えてもらえる権限を持っている組織であることも分かっているんでしょう? 世界を巻き込む秘密なのよ、これは」
 勅使ヶ原は微笑んだ。
 好戦的な笑み――とでも言おうか、この事態を予め分かっていて、どう戦うのかも分かっている――そんな微笑みだ。
「だからこそ、手土産を持ってきた。君たちに役立つであろう提案をね」
「――『クリュセオン』を使うと、何が起こるんです?」
 静弦は思わず聞いていた。
「君らの良心が痛まない。――新しい発見は全て『クリュセオン』が為したと言えば良い。インペリウム世界の秘密は守られ、しかも科学は発展する」
 平然と、勅使ヶ原は言う。
「もともと、いくら理論が素晴らしくても実験で検証されなければただの絵に描いた餅だ。科学の世界ではね。だから、君などは現象論をやっているのだろう。『クリュセオン』がインペリウム世界の物理を吐き出す――。現在の我々の実験施設で検証する形で。そして科学者らは検証し、科学は進歩し――しかも誰もその功績を私することにはならない。倫理も護られる。インペリウム世界の科学を知る少数の物理学者らの虚無感もおさまる……更に、全人類が恩恵を受ける……どうかな?」
「それは……詐欺では」
 静弦がつぶやいた。
「既に――人工知能が人智を超える働きをしたとしても誰も驚かない。私はクリュセオンの開発者としての名誉は放棄するさ。このAIは自律的に自己を進化させている。その知見は現在までのあらゆる科学論文に基づく――『クリュセオン』がインペリウム世界の科学を発表する暁には、著者名にこう書くつもりだ。”All Scientists who have ever been on the earth”――地球上に存在した全ての科学者。ユナ・テシガハラではないし、君らの名前でもない。しかし、いったんそれを発表し尽くしたら、その先は私も発見に加わらせてもらう。真に『新しい』部分からはね」
「あの……それでも……」
 静弦が言おうとしたとき。
「ふうん。聡いわね」
 ビアンカがそう言い出した。
「ユナ。どうやら、私はあなたを見逃す決断をしたみたいよ? 但し、秘密はあなたどまりにしてほしいわ。あなたの恋人、家族、学生、なんでもいいけど、あなたより先に漏らしてはだめよ」
「約束する。恋人はいないし、家族にはもう数年会ってない。ラボの学生に対しては――うまく取り繕うさ」
「それで? 話は聞いた上で言ってるのよね? 私は静弦を、新しい一派に勧誘していたんだけど」
「私のその一派のメンバーに加わらせてくれるとありがたい。そうでなければ、そもそもこんな提案はしない」
 ビアンカと勅使ヶ原の視線が、そろって静弦に向いた。
「で、シヅル? あなたの意見は?」
「織笠君。ここで降りるとは言わないよな?」
 静弦は一歩、プールの中を後ずさった。
(……物事というのは、どうしてあたしをおきざりにして急展開し続けるの? 少しは落ち着いてほしい……)
「あの……少し考えさせください」
 そう言うのが、精一杯だった。だが、同時に、石のように虚無に満たされていた心臓に、温かい鼓動が戻ってくるのも感じていた。