「square one」片理誠

「では後藤様、こちらへ」と案内されたのは八畳ほどの広さの真っ白な部屋だった。
 中央に大きな繭(まゆ)、あるいはカプセル、のようなものが設置されている。
 これが? と指さすと、そうです、と堅苦しい紺色のスーツに身を包んだ、ブレインフローラ社のオペレータ兼案内係のお姉さんがうなずいた。
「完全自動型介護用ベッドです。この中でなら何年でも、何十年でも、眠り続けることが可能です。このベッドと、付属のマイクロマシン群が、自動で後藤様のお世話を完璧に行い続けますので」
 プログラム実行中はずっと、動くことはもちろん、目を開けることもできなくなりますから、と彼女。
 凄いや、と水色のガウン姿で僕。辺りを見回しながら「個室なんだね。僕はてっきり――」と言うと、「追加となる料金は、すでにお父上様より頂戴しておりますので」と軽くおじぎをされた。
「パパが?」
「はい。ちなみに、このベッドも最上位モデルのものです。極楽のような眠り心地をお約束いたしますわ」
 やったぁ、と思わず指を鳴らした。
「さっすがパパ上様だ! 気が利いてるよ。息子のために、あれこれ手配しておいてくれてるなんてさぁ。しかも秘密裏に。やることが粋だよねぇ。かっこいいッ!」
「お母上様からも伝言が」
「ママから?」
「はい。後藤家の人間として、より立派に成長して戻ってくることを心から願っています――とのことでした」
 ウッヒョウ、と天井に向かって吠えた。両拳を突き上げる。
「期待されてるよなぁ、僕! 今回のことではママ上様に恥をかかせてしまったんじゃないかって、ちょっと心配してたんだけど、俄然、やる気がわいてきた!」
 案内係が手元のリモコンを操作すると、軽い電子音とともに、ベッドのカバーが開いた。
 意気揚々とその中に入って寝そべる。わぁ。本当にふかふかだ。まるで雲の上に乗っているかのよう。
 お姉さんが僕の顔を覗き込んできた。
「それでは後藤様、これより処理を始めます。先日、脳内に注入したナノマシン群は全て、正常に作動しておりますので、何も心配はありません」
 うん、とうなずく。
「脳裏に『OK』の文字が表示されましたら、準備完了です。『Go to square one』と強く念じてください。それでマインドジャーニーのプログラムが始まりますので」
“square one”? と首をかしげると、そういう言い回しが英語にはあるのです、と返された。
「元々は『1』と書かれた盤上のマス目のことで、要するに、日本語で言うところの『振り出し』と同じですね。物事の出発点のことです」
「『振り出しに行け』じゃ駄目なの?」
「日常でよく使われている言葉ですと、記憶を再生した際に、ナノマシンがコマンドと間違えてしまう可能性がありますので」
 なるほど、と僕。
 それで普段は使うことのない言葉を指定するわけか。確かに僕には英語なんてチンプンカンプンだし、そんな言い回しがあることも知らなかった。僕の人生のどこをどうほじくり返したところで“Go to square one”なんて言葉は出てこないだろう。僕の頭の中でせっせ、せっせと働いているナノマシンたちも、混乱せずにすむというわけだ。
 お姉さんがずい、と顔を近づけてきた。思わず僕はどぎまぎしてしまう。このオペレータさん、凄い美人なのだ。
「後藤様、これまでに何度も説明してきましたとおり、このハイパー・ペンフィールド・システムによる記憶再生処理は、一度始まってしまうと外部からは止めることができません。強制的に停止させると、脳に重い障害が残ってしまう可能性があるためです」
「う、うん」
「もし途中でマインドジャーニーを中止したくなったら、先日お伝えした緊急停止コマンドを強く念じてください。それで安全に現実世界へ帰還できますので。分かりましたね?」
 あ、うん、とうなずく。
 では、良い旅を。そう告げると、彼女はベッドの蓋を閉じた。

       * * *

 ――自分をもう一度、見つめ直したい。

 そう考えるようになったのは、丁度一週間前の、とある悲しい出来事がきっかけだった。
 人生で初めてできた恋人に、僕はこっぴどくフラれてしまったのだ。一五六回もお見合いして、やっと出会った人だったのに……いや、一六五回だったかな? まぁとにかく、サキエさんにたどり着くまでに、僕もそれなりに苦労を重ねてきたのだ。
 元々無愛想なところのある人で、話し方もぶっきらぼうで、あんまりお洒落な感じでもなく、取り立てて美人というわけでもない女性だったけど、僕のママの学生時代の親友のお嬢さんで、ママが何度も拝み倒してくれた結果、ようやく会ってもらえることになった、特別な人だった。
 心の底から敬愛するママ上様たってのお願いということで当然、僕にも気合いが入った。彼女に何とか気に入ってもらおうと、一生懸命、努力した。
 でも、五回目のデートで、サキエさんは、
「ホント、マジ、後藤、救えんわ」
 と吐き捨てるように呟くと、ドブネズミを見るような目で僕をにらみ、行ってしまったのだ! 五つ星レストランに僕だけを残して。どこかへ。
 それっきり、彼女とは連絡がつかない。
 これはやっぱり、フラれた、ということなのだろう。にわかには信じがたいが、どう考えてもそうとしか思えない。でもなぜ? あそこまで嫌われる理由なんて、まったく思い当たらない。
 そんな時、ふと、ブレインフローラ社の記憶再生処理サービスのことを思い出したのだ。彼らはそれをマインドジャーニーという商品名で売り出していた。
 1933年、ワイルダー・ペンフィールドというカナダの脳神経外科医が、脳に電気的な刺激を与えると、昔の出来事を再体験できる(それも、かなり鮮明に!)ということを発見した。
 人間の記憶というのは、実は消えるわけではなく、ただ単に“思い出せなくなるだけ”、つまり“アクセスできなくなるだけ”で、データとしては脳のどこかに残っているのだ。ペンフィールド医師は、このことを発見したのである。
 ブレインフローラ社はハイパー・ペンフィールド・システムという、ナノマシンを中心とする最新鋭のバイオスキャン技術を駆使することで、この個人の中に眠っている記憶の全てを再生することができる、と謳(うた)っていた。
 記憶を再生すれば、どうしてサキエさんにフラれたのかが分かるかもしれない。
 そう考えた僕は矢も楯もたまらず、危険だからやめておけという執事や弁護士や超高度AIたちの意見を押しのけて、このサービス、マインドジャーニー、を受けることに決めたのだった。
 確かにリスクはある。実際、何度か事故も起きているらしい。だが、後藤家の跡取りたる者が、少々の危険に怖じ気づいてなどはいられない。僕には知らなくてはならないことがあるんだ。
 とはいえ、マインドジャーニーにかかる費用は相当なもので、さすがに僕の小遣いだけでは足りなかった。フェラーリやロールスロイスのように、思いつきでポンと買う、というわけにはいかないのだ。
 そこで仕方なく、恥を忍んで、パパ上様に相談して、費用の一部を前借りさせてもらった。「出世したら返すから」と言えば、パパはいくらでも僕にお金を貸してくれるのだ。働いていないのだから出世もへったくれもないのではないか、と時々自分でも思うことがあるけれど、たとえばある日突然、芸術の才能に目覚めて、その後の人生がウッハウハに、なんてことが起きる可能性だってあるわけで、おそらくパパはその辺りのことを勘案されているのだろうと思う。
 でも親に借金して買ったサービスではあるわけなので、僕としては多少、肩身が狭い。なので一応、気を遣って、一番安いコースで予約したのだった。
 ところが知らないうちにパパが裏から手を回して、最上級コースに変更してくれていたのだ! これは「後藤家の人間たるものは常に、至高の存在でなければならない」という彼からのメッセージだ! ありがとう、パパ! また一つ、勉強になったよ!
 さぁ、これであとは『なぜ、サキエさんにフラれたのか?』の謎を解くだけだ! この旅が終わる時、僕は更に一回りも二回りも人間として大きく成長しているに違いない。
 しかしなかなか始まらないな、まだかしら、ときつく目をつむったまま考えていると脳裏に突然、真っ白で大きな文字が出現した。「OK!」とある。頭の中に、いや意識の中にというべきか、とにかくあまりに現れるのが唐突だったのでビックリした。こういうところはまだこなれていないな、と感じる。まぁ、まだ始まってからそれほど経っていないサービスなので、洗練されていない部分が残っているのはしかたがないのかもしれない。
 僕はさっき聞いたコマンド、「Go to square one」を強く心の中で念じた。
 脳内に「キュィイイイイイン!」という軽い音が響き渡る。こちらの指示がきちんと受諾されたことを示す、合図のようなものだろう。処理は上手くいっているみたいだ。まずは安心。
 その後はしばらく、真っ暗なままだった。
 試しに体を動かそうとしてみたが、身体感覚そのものがまったく存在しない。突然、肉体から意識だけが引きはがされてしまったようで、かなり戸惑った。本当にまぶたすら開けられない。だが事前に聞いていたとおりのことではあったので、おそらくはこれで正常なのだろうと自分に言い聞かせた。あまり愉快な感覚ではないが。
 そうこうしているうちに、ゆっくりとまぶたが上がり始め、目の前の何かが見えだした。とうとうスタートした! 俄然、興奮してくる。さぁ、何が始まるのか。ぼんやりとしていた眼前の輪郭が、徐々にくっきりとしてくる。
 それは、パパだった。
 そのすぐ隣にはママもいた。
 二人とも、随分若い。
 は?
 僕は状況が飲み込めず、しばらくの間、呆然としてしまう。
 視界にはまだ白っぽいもやのようなものがかかっていて、周囲がはっきりとは分からないのだが、どうやらここは病院の中らしかった。僕は小さなベッドの中に横たえられている。そして「オギャー、オギャー」と泣いている。
 何だこれ?
 はぁあああッ?
 おいおい、どういうことだ? これってもしかして……僕の、産まれた直後の記憶?
 ぅえええええッ? ど、どういうこと? なんでこんな昔に戻ってるの? 僕は今、二五歳だから、もしそうだとするとこれは約二五年前の出来事ということに……違う違う、違う! 知りたいのは一週間前! サキエさんにフラれた時のこと! 〇歳に戻ってどうする!
 パニックに陥ってしまう。
 こんな時、パパならきっと「後藤家の人間は、いついかなる時も取り乱してはならない」って言うだろうけど、そんなこと言ってられる場合じゃない! なんてことだ。戻りすぎだ!
 そういやオペレータさんは“振り出し”と言っていたな、と思い出す。あれは、人生の出発点のことだったのか? そりゃ確かに全てはここから始まるのだろうけど……。
 考えてみれば、いつの時点に戻りたいのか、僕はブレインフローラ社に一言も伝えていなかった。恋人にフラれたなんて、あまり外聞の良い話じゃないので、こちらからは話さなかったのだ。
 向こうからも聞かれなかった。
 ん? ということは、もしかすると記憶再生処理というのは、誰であっても、産まれた直後から順番に進めなくてはならないってことなのだろうか?
 僕は人生とは一冊の日記帳のようなものなのかと思っていた。でももしかするとそれは、ノートではなく、一本の巻物のようなものなのかもしれない。日付ごとにページがあるわけではなくて、全てがズラーッと、ただ一枚のやたら長い紙に順番に書き連ねられているイメージだ。
 もしそうだとするなら、何年何月何日の記憶がその巻物のどこに記されているかは、ハイパー・ペンフィールド・システムには分かりようがない。最初から順繰りに全てを処理しない限りは。
 なんてことだ――
 とにかくこの状況は僕が思っていたのとは全然違う! そのことだけは確かだ。どうにかしなくては!
 だがこのプログラムが頭っから尻尾までを順繰りに処理しなくてはいけないのだとしたら、たとえば「一〇年分をスキップして」とか、「○年○月○日にジャンプして」というようなコマンドは存在しないということになる。この巻物にはまだ、インデックスが存在していないのだから。飛びようがない。
 それでも、もしかしたら「五倍速で再生して」というような命令なら、あるかもしれない。っていうか、あって欲しい。二五年分の人生を一倍速で見るのは、いくら何でも時間がかかりすぎだ。それだと終わった時には五〇歳になってる。さすがにパパやママも怒るだろう。
 いや、いやいや、待てよ。
 そもそも今僕が体感している一分は、現実世界では何秒なんだ? システムの制御下にいるせいで、自分ではさっぱり分からない。〇・〇〇〇一秒とかならいいが、下手をすると一時間以上かかっている可能性だってある。これは純粋にハイパー・ペンフィールド・システムの性能次第だ。
 そういえば現実世界の僕が寝ているはずのベッド、やけに立派だったな。あの完全自動型介護用ベッド、お姉さんは「この中でなら何年でも、何十年でも、眠り続けることが可能」と請け負っていたっけ。
 嫌な予感がする。
 慌てて、心の中で「百倍でも千倍でもいいから、とにかくなるべく速く再生して!」と強く念じる。
 だが何も起こらない。
 ま、そりゃそうだ。そんなコマンドがもしあったとしても、僕はそれを教わっていない。このシステムにはテレパシーなんて備わっていないのだ。それは正しく入力された命令に、ただ忠実に従うだけの存在でしかない。
 嬉しそうに話し合っているパパとママをぼんやりと見上げながら、僕はやれやれ、とため息をついた。
 しかたがないな。支払った費用がパアになってしまうのは惜しいけど、今回の処理はここでキャンセルするしかないだろう。この先、二五年もは、さすがにつきあえない。それにまぁ、少なくとも両親の幸せそうな笑顔は見られたのだから、まったくの無駄だったというわけでもない。僕は望まれて生まれた。そのことが分かっただけでも、今は満足だ。
 よし、帰ろう。そう決心し、「ここで止めてくれ」と強く念じる。
 だが何も起こらない。
 あれ?
 ああ、そうだった! コマンドだ。キャンセルするためのコマンド、それを入力しなくてはならないんだった。嫌だなぁ、もう!
 自分の失敗に苦笑いしながら、件の命令を思い出そうとする。

 ――だが、思い出せない。

 は?
 あれ?
 心のどこか、あるいは意識のどこかというべきか、とにかく僕の中の一部がゾワゾワと騒ぎ始める。
 おいおいおい! 何やってんだ、早く思い出せよ! まさか……忘れたんじゃないだろうな? あんな重要なことを? おい、正気か? ヤバいぞ! さすがにシャレにならないだろ! 人生の破滅だぞ! 破綻だぞ! 破裂なんだぞ!
 いやいやいや、落ち着け、落ち着けッ! そのコマンドなら確かに聞いた。何度も復唱だってした。知ってるんだ、間違いなく。ただ今、ちょっとド忘れしているだけだ。すぐに思い出せるさ。しっかり教わったんだし、メモだって取ってるんだからな。……ただそのメモを見ることは残念ながらできないけどね、この状況では。今は指一本動かせないし、目も開けられないんだから。
 ええと、何だったっけな。日本語じゃなかったことだけは確かなんだけど。全然聞き覚えのない外国語だったはずだ。英語? それともフランス語とかドイツ語だったかな? ああ、辞書を引けたらなぁ。とにかく聞いたこともない言葉だった。しかも結構、長い文言だった気がする。何だっけなぁ、ええと……

       * * *

 あれから体感では二五年。リアルの世界が今どうなっているのか、処理が始まってからどれくらいの時間が経っているのか、自分の頭蓋骨の中に幽閉されているも同然の僕には窺(うかが)い知るすべもない。
 とうとうここまで来てしまった。
 今、僕の目の前では黒っぽいドレスに身を包んだサキエさんが、こめかみに青筋を浮かべ、口元をひくつかせている。こちらを見下すその眼差しは、「憎悪」という単語抜きでは説明のしようがない類のものだ。
 そう。彼女にフラれた、あの運命の日。ついにここまで至ってしまったわけなのだ。僕は僕のマインドジャーニーをキャンセルすることが、結局できなかったのである。
 教わったコマンドは完璧に、跡形もなく、すっきりと忘れてしまっていた。元々、綺麗なお姉さんに見とれてしまっていて、半分上の空だったのだ。これはどう考えても、あんな美人を担当者にした、ブレインフローラ社の責任だ! この件が終わったらあらゆる訴訟を起こして、あの会社はつぶすッ! 絶対に! この僕のプライドにかけてだ!
 もちろん必死に様々な言葉を念じてみた。思いつく限りの単語も並べた。しまいには、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだろうと、でたらめにわめいたりもしてみた。
 だがそれらの行為は、例えるならば、何桁あるのかも分からないパスワードを勘だけで解こうとするようなもの。上手くなんかいくはずがない。やがて僕は精根尽き果て、途中であきらめてしまったのだった。もう、なるようにしかならないや、と。
 大富豪の御曹司として生まれ、大勢の召使いたちにかしずかれて、何不自由なく暮らすというのは、傍目には随分と幸せそうに見えるかもしれないが、実際は案外退屈なものなのだ。山もなければ谷もない、間延びした映画をだらだらと見せられている気分。しかも僕には先の展開がだいたい分かってしまう。そりゃそうだ。だって自分自身の人生なんだから。
 そんなものを二五年もの長きにわたって延々と見せられ続ければ、誰だってうんざりするだろう。
 だがそれも、もうすぐ終わる。
 サキエさんにフラれた数日後、僕はブレインフローラ社の門戸を叩く。そこでしっかりと、一連の処理をキャンセルするための言葉を聞くことになるのだ。だからあと少しの辛抱だ。
 ちなみにサキエさんが激怒した理由は、もうすでに分かっている。メインディッシュである「特選和牛フィレ肉のパイ包み焼き」の味付けだ。やや濃かった。それにマッシュルームのみじん切りもかなり荒い感じで、きっとこれも彼女の癇(かん)に障(さわ)ったのだろうと思う。
 こんな重大なことに気づけなかったなんて、僕もうかつだった。きっと女性とのデートということで、気持ちが若干、浮ついてしまっていたのだ。だが彼女が怒るのも無理はない。楽しみにされていたであろうメインディッシュに、これほどの大ちょんぼがあったのではね。やれやれ、まったく。これに比べたら、待ち合わせに一時間以上遅刻したとか、食事中にゲップやおならをしたなんてのはまるで大した問題じゃない。
 やたらと時間がかかってしまったが、僕はとうとう、求めていた正解にたどり着いたというわけだ。不本意な形ではあったけれど。まぁ、いい。とにかく、あとは目覚めるだけだ。
 心を落ち着けて自分の分析結果を反芻していると、突然、聞き覚えのある音が脳内に響いた。

 キュィイイイイイン!

 え?

 気がつくと誰かが僕の顔を覗き込んでいた。パパだ。まだ若い。すぐ隣にはママもいる。そして僕は「オギャー、オギャー」と泣いている。
 何だこれ? えッ! もう一度戻ってる! これは僕の産まれた直後の記憶だ! また“振り出し”だ!
 そんな馬鹿な! なんで? 僕はコマンドなんか唱えちゃいない! 「Go to square one」なんて、言ってないぞ! えぇぇぇッ! い、いい、いったいなぜ、こんなことに……

       * * *

 考える時間はたっぷりとあった。具体的には二五年もの間だ。一つの謎について考えるには十分すぎるほどの長さだ。

 ――なぜ再び“振り出し”に戻ってしまったのか?

 僕はこの件について考えに考え抜いた結果、ひどい頭痛になった。それでもなお考え続けたら、今度はすさまじい吐き気を覚えた。しかしあきらめずにまだまだ更に考えて考えて考えて……、ということをほとんど無限とも思えるほど繰り返した結果、とうとう頭がおかしくなりそうになったが、同時に一つの閃きをも得た。
 僕の仮説は、こうだ。
 あの日、僕はサキエさんにけちょんけちょんにフラれてしまうわけだけど、その際に彼女は、
「ホント、マジ、後藤、救えんわ」
 という捨て台詞を残す。この中の「後藤、救えんわ」の部分を、ハイパー・ペンフィールド・システムは「Go to square one」と聞き間違えたのではないか?
「ご とう すくえん わ」と、「Go to square one」は、確かに響きが似ている。
 このことを閃いた瞬間、目の前が真っ暗になったような気がした。
 まずい、非常にまずい。また振り出しに戻ってしまっただけでも十分すぎるほどひどい状況なのだが、事はより深刻なのだ。
 最初のマインドジャーニー中にある程度楽観的でいられたのは、この旅には終わりがある、と確信していられたからだ。うんざりするほど長くはあるが、いつかは終わる。最終的には僕はブレインフローラ社に行って、そこでシステムを止めるためのコマンドを聞くのだから、この旅がどんなに長かろうともそこでジ・エンドになるはず。そう考えていた。
 だが僕がブレインフローラ社に行く前に、システムは振り出しに戻ってしまうのだ! サキエさんの捨て台詞をコマンドと聞き間違えて。何度でも。
 つまりこういうことだ。『僕 は 無 限 ル ー プ に 陥 っ て し ま っ た』!
 この僕の記憶をたどる旅は――終わらないのだッ! 永遠に繰り返されるのである! 僕が死ぬか、システムがぶっ壊れるかするまで。なんてことだ! 最悪だ!
 この地獄から抜け出す方法はただ一つ。キャンセルコマンドを念じることだけ。だが僕はそれを綺麗さっぱり忘れてしまっている。どうしても思い出すことができない。ああ、美人なんかに見とれるんじゃなかった!
 何とかして思い出そうと努力はした。思いつく限りの言葉を試してみたりもした。だがやっぱり駄目だった。このシステムはサキエさんの捨て台詞には反応するくせに、僕の心の底からのシャウトは無視するのだ! なんて融通のきかない馬鹿たれなんだろう!
 そんなこんなで、また二五年。今、僕の目の前では、断固とした態度で席を立った彼女が、怒りに肩を震わせながら、こちらを燃えるような眼差しで睨(ね)めつけている。
 このままでは、また振り出しに戻ってしまう! もう一回なんて冗談じゃないぞ! かくなる上は、彼女の台詞を何としてでも妨害しなくては!

 ――「ホント、マジ、

 やめろッ! 聞くんじゃない! 耳でも塞いでろ! ストップだ、ストップ!

 ――後藤、

 こんなの再生しなくていいんだよ! 止まれ、この馬鹿システム! お前は寝とけッ!

 ――救えんわ」

 キュィイイイイイン!

 わぁあああああああああああああああッ!