
アフリカの詩文学の潮流 服部伸六
アフリカの詩や文学作品を読む場合、欠くことができないのは、その作品を生んだ背景の理解であろう。
他のどこの文学の場合でも、このことは言えるとしても、アフリカに関する場合はなによりも欠かすことのできない原則である。
なぜかと言えば、アフリカの文化状況は、この大陸を植民地として荒廃させたヨーロッパ諸国でさえも理解は不十分であったからである。まして、まったく係わりなかった日本人に、未知の暗黒大陸といわれたアフリカの文学の深い理解が得られる筈はない。
そこで私は、ごく簡単にその歴史と伝統を紹介することから始めることにする。
伝承とその移り変わり
アフリカは大きく二つに分けられる。
地中海に面した北アフリカのアラブ・イスラムの、いわゆる「白アフリカ」と、サハラ砂漠から南に位置する「黒アフリカ」とである。私は、そこで、この二つの文化圏を並行して記述していくことにする。
黒の方からまず始めることにしたい。
1956年パリのソルボンヌ大学で開かれた第一回黒人芸術家大会でベルナール・ダディエというコートヂボアールの詩人が報告を行い、次のように述べている。この詩人は、私がコートジボアールに住んで居た頃の知人で、まったく素朴そのものの人であるが、いまは文化大臣を勤めている。この詩人の詩は、あとで紹介することにしたい。
「昼の仕事のあと、休息に集まった家族に話をするのが、伝統の一部となっています。というのは、昼間から話すと、家族を失うというコトワザがあるからです。昼に話すことは、仕事の邪魔になるので、《貧乏は怠惰の姉》というコトワザのとおり、夜が伝承を次の世代に伝える時間となるわけです。火の燃える雰囲気、月の光、野獣たちの叫び、コーラスに変わる唄、足拍子、それにつれて身振りを伴った語り、そいう雰囲気が心を異常に感受性の高いものにみちびくのです」。
伝承の内容については省略するが、日本でも古代にあってはそういうものであったことを、思い起こさせる話である。黒アフリカの伝承に見合うものが、アラブ圏の北アフリカにもあるにはある。アラブ人が進出してくる前のこの地域に住んでいたベルベル人たちの伝承である。
今のところ一般に認められている説では、この民はアラビア半島の南端の「しあわせのアラビア」と呼ばれる、現在のイェーメンにあたる地方から移動してエジプトを経て、そのあと長い年月を経てサハラの南を迂回し、北の地中海に達したものとされる。紀元前二千年以上も前のことである。
アラブ人とはもともと同族ではあるが、歴史の長い間の差異のため、その文化にはかなりの相違があるように見える。現在ではアラブ人との混血により見分けはつきにくくなって
はいるが、北アフリカのマグレブ (日の沈む国という意味) では、その約60%はベルベル系だといわれる。
私も何回かアトラス山中に迷いこんだことがあるが、そこは世界から切り放された別天地だった。そこで、30年もべルベル人たちの中で暮らしたフランス人の詩人ルネ・ウーロージュは、ベルベル人の一人に言わせている。
「あんたがたヨーロッパ人は、おれたちに光をもたらしたと考えているが、しかし本当のところは、おれたちをあんたがたの暗闇に引きずり込もうとしているんじゃろう」。
ヨーロッパ人が造り上げた今日の文明は、ひょっとすると暗闇の文明なのかもしれない。アトラスの山中にいると、そんな思いに引き込まれる。そんなことを考えながら山村を巡っていた私の眼のまえを一台の馬鹿でっかいアメリカの車が石ころに躓きながら走っていった。通りがかりの農夫に尋ねてみると「あれはニューヨークで金持ちになった部落の人の里帰りさ」という答えが帰ってきた。
何という皮肉だろう。私は驚いて唸ったものだ。
植民地主義の搾取に抗するアフリカ
(古代から一足飛びに近代へはいる。というのはアフリカにもヨーロッパの中世に比すべき王朝の栄えた都市文明はあった。たとえばソンガイやマリの王国、ナイジェリアのベナン王国エチオピア帝国などがそうであるが、詩文学の分野では伝統の枠からは出ないので、私の記述からは省くことにする)。
1960年の「アフリカの年」、すなわち諸国が競って独立した年のことであるが、その前後からアフリカの前衛となった若い知識人たちの間で、とくに詩人たちの間で、自由と解放の戦いが激しくなっていった。サルトルが「黒いオルフェ」の中で鋭く指摘している通りである。
口火を切ったのが、ネグリチュード運動であった。ネグリチュードとはネグロという黒を意味する語幹に、状態を示すチュードを加えた新語で、「黒人らしさ」と要約することが出来るかもしれない。要するに黒人としてのアイデンティティを認識しようと言う運動である。
その指導者たちは1930年代、同人誌「黒人学生」に拠った若者たちであった。アフリカ出身ではないが、奴隷の子孫であるマルチニック島生まれのエーメ・セゼールと、セネガル国籍のサンゴール、それに、やはりカリブ海の奴隷の子であるレオン・ダマの三人がその中心であった。
セゼールを発見したのはアンドレ・ブルトンであった。ブルトンは第二次大戦の末期にマルチニクのキャンパスから出てきたとき、本屋の店頭でセゼールの詩を発見して、フランスへ紹介したのが、セゼールを世に出したきっかけになった。ブルトンがセゼールの才能を認めたのは、サルトルが指摘している「異質なフランス語」の使用法であるが、それをブルトンはシュールレアリスムの運動に結びつけて捉えていたのである。そういう要素のある詩句をセゼール代表作『帰国手帳』の中から拾ってみよう。
········そうして黒人らしさが立っている
坐っていた個人らしさが
期せずして立つ
船倉に立つ
船室に立つ
甲板に立つ
風のなかに立つ
陽の下に立つ
血のなかに立つ
立つ
そして
解き放たれて
立つが 自由ではあっても哀れな狂女ではなく
流れ漂う海の貧窮でもない
········
そして清められた船は崩れる波の上を堂々と進む
詩人はネグリチュードを船に見立てているのだ。そしてその船は、黒人の故郷であるアフリカ文化の源泉への帰還を暗示している。
いささか難解な詩集ではあるものの、マルチニクの黒人たちの悲惨な暮らし振りを激しいコトバでぶっつけて、黒人の権利を主張している。彼はこの主張にそってフランス共産党に入党し、現在ポール・ド・フランスの市長になった。現在は、たしか党を抜け出してはいるが、相変わらず市長ではあるはずである。
サンゴールはセネガルに帰ると、大統領選挙に打って出て初代大統領となったが、五年ほど前、世代交替して職を譲り、今はフランスのノルマンディの妻の故郷に隠棲している。レオン・ダマについては日本では、ほとんど知られていないが、アフリカ人式のユーモラスな唄い口で、わかり易く、私はとても好きなのだが、アフリカに住む人ではないので、ここでは取り上げない。
解放後の混沌
「地に呪われたる者」の著作者で有名なフランツ・ファノンは詩は残していないが、その行動をみると、まさに詩人の血を感じさせる。アルジェリアの独立戦争に軍医として参加して若くして死んでしまった彼が、直接、詩について語っているのは、ギニアの詩人にして舞踊監督ケイタ・フォデボだけだろう。
フォデボは舞踊の台本を詩で書いている。ヨーロッパの戦争に引っ張り出されたギニヤ人の戦死と、その死を悼む故郷を舞台にした場面が展開されている。この作品について、ファノンは次のようにコメントしている。
「植民地化された国では原地人を戦野で使い古した挙句、独立運動を打ち砕くためにふたたび利用するのだ」と。そのとうり、旧宗主国の政府は旧軍人に玩具のような勲章をくれてやり、飴玉のような年金をあたえて、古い体質の反動的な政府の安定をはかってやった。「やった」と過去形で私が書くのは、少なくとも、1970年代まではそういう態度であったからだが、最近ではそうとも言えない。たとえば、フランスの社会党政権はアフリカの民主化に力を入れているからである。フランスの国益に反しないかぎり。
ギニヤ舞踊団は日本にも二回ほど来て公演している。私も一回は見ているが、たしかその時はフォデボの姿は消えていた。彼は独裁者セクー・トーレの反政府陰謀の嫌疑で獄死していたのである。
もう一人の独立闘争の詩人として上げねばならぬのは、マダガスカルのジャック・ラベナマンジャラである。
アフリカ大陸の尻にぶら下がる格好のこの島は前世紀からフランスの保護領になっていたが、大戦後の世界の変革運動の嵐のなかで自由をもとめる国民の声が高まっていった。1948年に全国で反仏のデモが起こった。そのデモを指導したとして逮捕されたのが、若いラベナマンジャラだった。彼は獄中で「アンツア」という愛国詩を書き発表した。この詩集の題名はマダガスカル語で伝統的な「歌謡」を意味するということである。
テーマは祖国への愛と、近代的な意味での自由とを結びつけた愛国詩である。ポール・エリュアールの有名な「自由」とどこか似たところがあるのは、偶然の一致だろうか。
しあわせで 解放された 島よ、
ぼくの名はお前の名にもつれ合う
そして合体はいつまでも解けない
死の国までも続いて行く、
しあわせで 解放された 島よ
自由よ!
ラベナマンジャラは死刑の宣告を受けていたが、島の独立後は自由の身となり、経済大臣など要職をつとめた。しかし現在の社会主義政権とは言いながら、独裁的なラチラカ政権が1975年に発足すると、追われてフランスに亡命。現在は著述に日を送っているということである。
独立から30年後の今、アフリカはますます貧窮化へと落ち込みつつあるようにみえる。アフリカ人自体に問題もあるかもしれぬが、しかし、指導者たちの責任は大きい。というのは、これまでの指導者の多くは国家財産を勝手に私有して、ヨーロッパに不動産を買ったり、スイスの銀行に預金を持ったり、国の開発には貢献していないからだ。
しかし、今、若い世代が育ちつつあって、民主化のうねりが波うっている。私はまだこれら若い力が発する詩のメッセージには接していないが、これから生まれてくる新しい時代に期待をかけている。
新しい世代は、まだ芽生えぬ若芽であるかもしれぬが、その樹液には、先に上げたベルナール・ダディエが歌った詩句が混じっているに違いない。
神様ありがとう 黒人に生んでもらってありがとう
········
白という色は かりそめの色
黒と言う色は 変わらない色
世界に向けてぼくがほほえみかけると
まっくらな夜が明けそめる
(「日々のロンド」より)
激動の北アフリカ
ヨーロッパのルネサンスを準備したスペインのアラブ文化繁栄の時代にいた優れたアラブ詩人たちの詩文学には、勝れたものが多い。私はアラブ語を解さないので、詳細は知ることは出来ないものの、フランス語に訳されたものをみても、十分それは鑑賞に値する。
次にグラナダの最後の王朝が滅びる直前に、この光輝く街を訪れた詩人イブン・サラ・ド・サンタレムが歌ったという詩句を引用しよう。
この国の人よ、祈らぬがよいぞ、
禁じられたこともあきらめぬがよいぞ、
そうすれば、あんた方は地獄へゆける。
北の風が吹きすさむとき
火がぬくぬくと暖めてくれる地獄へだ。
皮肉たっぷりグラナダ人の腐敗ぶりを歌にした詩人の史眼には脱帽だ。14世紀と15世紀のアラブ文化は見直されてもよいのではないだろうか。
アルジェリアの独立と詩人たち
そこで、いきなり、現代へ突入することになるが、何といっても主題はアルジェリアの独立戦争を語ることになる。この解放の戦いには独立闘争と同時に革命闘争と言う側面があった。というのは、オットマン・トルコの支配から引き続いてフランスの植民地支配を耐えてきたアルジェリアの長い屈辱の時代をようやくはねのける機会を目のまえにした国民の希望に沸き立ったのが1950、60年代だったからである。アルジェリアの解放戦で詩人が数多く生まれているが、なかでも美しい詩を残しているのはモハメッド・レブジャウイ。彼は1926年にアルジェ生。1957年の11月1日の万聖節の一斉蜂起に参加している。31歳の時である。
おれたちの旗
おれたちの血まみれの手は
天高く挙げられる
それは掴みとるためだ
月のかけらを
それから 血の色をした
星を 掴みとるためだ
アルジェリアの国旗は三ヵ月が星を掴みこむ格好の図案が中心に据えられている。そこから、単純で直接的で、もってまわったものでない力強い言葉が奔出するのだ。
このような詩法はアラブ文学の特徴であるが、アルジェリア切っての大詩人と言われたカテブ・ヤシーヌの場合にも通用している。
この詩人については、日本でもいくらか知られていると思うが、彼は1989年10月28日、白血病でなくなった。60歳だった。その死のすこしばかり前、ある雑誌のインタービュに答えてスターリンについて次のように素直に語っているエピソードを紹介しよう。
「30年まえのことですが、私が私の子供を連れて西独の街角を散歩していたときのことです。回りの身ぎれいに着こなしたブルジョア紳士たちを見てる間に、ふといたずらっ気を出して子供を呼んだんです。「スターリンこっちへ来いよ」と呼ぶと、回りの歩行者が一斉に振り向いて、脅えているのです。本当の名はハンスというのですが、私は脅えているのを見て面白がったというわけです。
だからといって、私がスターリンを非難しているとはとらないで下さい。私はスターリンが好きですし、尊敬してさえいます。それが私の立場なんです。私はソ連には何べんも行っていますが、多くのスターリン好きに出会っています。でもムッソリーニ好きのイタリア人とか、ヒットラー好きのドイツ人とかに比較されてもらっては困りますよ。」
混乱するアルジェリア
アルジェリアの詩人でもっとも代表的な詩人にはホーチミンのことを歌った「ゴムのサンダルを履いた男」など、代表作は多い。
カテブ・ヤシーヌはしかし、独立後のアルジェリアでは詩よりも、演劇活動に精を出していた。だが、その立場は政権党のFNLの側にはなく、いつでも自由と人権を主張する反体制の側にいた。それでも政府はヤシーヌの人気には気兼ねして、彼の劇団に対して資金の援助を拒むことはなかったということである。
ところが、指導者の独裁的傾向が激しくなり、政府高官の汚職が非難されはじめると、イスラム原理主義を奉ずる国民救済戦線 (FIS) が民衆の支持をえるという民主化が国の政治を揺るがしはじめた。じじつ、一家十数人が狭い部屋にうごめいて暮らしている時、お偉方たちは広い別宅で贅の限りをつくすという不公正はゆるされてはならない。しかし、一方では近代的合理主義に逆行する政教一致の時代錯誤思想が政権をとったとしたら、その被害も恐ろしいことになろう。今のところ、インテリや文学者たちは政府にもFISにも批判的にみえる。そういう立場を取っているのが、最近パリでベストセラーになっている小説「生きる苦しみ」の作者ラシード・ムミーニである。
モロッコの詩人で、これも一昨年フランスのゴンクール賞をもらった小説を書いたタハル・ペンジェルーンの名も上げねばならない。いずれもマグレブの現代社会をありのままに描いた優れた作品である。
地中海を挟んで向かい合う北アフリカの国々では、東欧やソ連の独裁体制の崩壊にとまどい、まだ自分たちの未来の地平線が見えてこないというのが今のところの現実であろう。■

「詩人会議」 1992年6月号掲載
