「そもそも、今の社会は女の顔をしているのか? スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」書評」大野典宏

そもそも、今の社会は女の顔をしているのか?
「戦争は女の顔をしていない」
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
三浦みどり 訳
岩波書店

ここでは、原作となったルポルタージュと、話題になっているコミック版、両方を紹介してみようと思う。
本作はノーベル賞を受賞したことで注目されたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの代表作である。
「戦争は女の顔をしていない」。かなり良い題名である。しかし、そのそも「戦争は人間の顔をしていない」が正解であるとしか言えない。
本作の元になった第二次世界大戦では、まだまだ戦争は男が行うものと決まっていた。やはり歩兵の肉弾戦となると女性は圧倒的に不利だったからだ。
そんな中で、体力的な理由もあって戦争に行くのは男と決まっていた。しかし、そんなのは剣で戦った時代の話。
銃や爆弾、戦車、飛行機などによって殺戮が「効率的」になった頃から、女性でも参加は可能だという話になった。
元はといえば国家間や民族間の対立を暴力で解決する手段であった戦争が、経済や情報ですらも手段になった。
そうなると、もう誘導ミサイルの操作、作戦指揮、サイバー攻撃や経済政策も男女は関係無くなっている。
しかし、本作は元々は常識ではなかった女性が戦争に参加するとはどういうことか? を通して戦争の本質を的確に表現している。
女性が女性であることのアイデンティティは削られ、軍隊側が衛生面、設備面で女性の参加を考慮していなかったため、女性特有の問題に直面することになる。それを当事者に直接取材することで、なみなみならぬ悲壮さが浮かび上がっている。
生理のことがまるで考慮されていない、女性用の下着が補給されない、体力面での不利が考慮されていない過剰な重労働などなど。
本作は漫画で表されているので多少は柔らかくなっているが、原作の重たさは半端ではない。
現在、日本では漫画やアニメで戦争の「萌え化」が進んでいるように感じられる。
高校生の女の子たちが戦車で戦う、軽巡洋艦で戦うなどなど……。実弾を撃ち合うことが何を意味するのか、まるで考慮されていない。本作も若い女性を可愛く描くことで、「萌え」の要素が入ってしまっている。
ファンタジーの世界なら戦車が横転しても怪我人は出ないのだが、実際には心に傷を負い、次々と人が簡単に死んで行く中で感覚が麻痺してしまう様子は生々しい。そして、戦後は肉体の破損、PTSD、女性一人が社会の中で経済的に自立することが難しかった時代の悲惨さが強調されているのだが、それは漫画化されたことで軽くなってしまっている。
もはや、受け取る側の感覚が麻痺しているとしか言えない。
本作で思ったのだが、女性に優しくない世界の中にいきなり放り込まれた女性たちが舐めた辛酸が、今もなお生き残っていて、「社会は女の顔をしていない」ことについて、考えて続けることは止めたくない。

(初出:シミルボン「大野典宏」ページ)