「モダニズム詩集」と「Nomade de Tokio」 服部伸六

「モダニズム詩集」と「Nomade de Tokio」  服部 伸六

 先頃、思潮社から現代詩文庫の特集版として「モダニズム詩集Ⅱ」が発行された。
 戦前の詩誌「詩と詩論」や「文學」に拠って新しい詩の運動を展開した詩人たちの詩を纏めた第Ⅰ集に続いて、第Ⅱ弾は同じく戦前の「詩法」や「新領土」などに拠った詩人たち詩のアンソロジーで、そこに父・服部伸六の詩も1篇収録された。以下に再録する。また同じく新領土に発表された連作詩のうち2篇も再録した。大和田始

「血の汗」 服部伸六

君の蒼めた血は濡れてゐる
濡れて光つてゐる。熱のある闇の中で
君の豊富な塩は流れてゐる。
夜の中に腕があるやうに
君を包んでゐる闇の中に
うなぢがあるやうに、温い
乳房があるやうに
夜の中にすべてがあるやうに
君の血の闇は無限である。

無限へ向って開いた窓
その窓に来て露が下りる。
みんなが黙つてゐる間に
君の血の湿気は
君の心の湿気は
汗のやうに
君の窓に来て停る。

それらは獣から獣へ、人から人へと
終りの人である君に向つて
流れに流れて来た血である。
生物の血管の壁に手探りしつつ
理想と回帰の夢を抱き
羊のやうに、豚のやうに
君の方へ下りて来た泡である。

泡がパチパチはじける度に
確かに、君はうろたへる。
神慮よりも偉大であらうとするのか
てんたう虫よりも単純であらうとするのか
メロンよりも華麗であらうとするのか。
足を雑草にふみ入れ
君は取乱した様を恥じるかのやうにつぶやく。
《騒ぐ心よ。静まれよ!
静まれよ!》

だがすぐまた君は蝸牛のやうに
夜へ向つて胸と腕を開く
夜の中にはうなぢがある、温い
乳房がある、すべてのものがある。
だが夜の河明りが君を眠らせない。
またたいてゐる平和が君を
眠らせない。
ほのかに眼覚めた湖が君を
眠らせない。

ひそかにそしてまたひそかに
露が下り始める。
だつて朝が来るんだから。

「新領土」28号 1939年8月

「Nomade de Tokio」  服部 伸六

1 湖沼地帯

如何ナレバ他ノ太陽ノ照ル國ヲ求メ行クヤ
ソノ國ヲ出ヅルトモ誰カソノ身ヲ出デン
          ホラシュス
     ★
花を挿して他の nomade が来たので共に河を渡る

手品師の指の間に見えれする希望。
眼をつむればなほよく見える光。
その光は河を照らし屋根を照らし、
他人[ひと]にはすすめられない財寳の在り家を照す。
だが誰にそれが見えるのだらう?
僕は信じてゐる。
希望は光は糞の中に隠してあるのだと
     ★
この暗闇を見よ。
涙さへも見えないこの暗闇の中にはさまざまの匂ひがみえる。
匂ひは驚くに足りるだらう。
匂ひは思想を結ぶ紐となるだらう。
男と女との思想を結ぶ紐となるだらう。

人生の如何に長く幸福の如何に短かいことか。
手紙の如何に長く涙の如何に短かいことか。
映畫館の僞の夜空の中で匂ひに泣く。
確かに生きねばならない。
愛の後姿はよそに見て
Nomade の民のさだかならぬ平和
     ★
燦然たる太陽も蔭を作る。
鬱然たる大樹ほど暗いその下蔭。
あなたの蔭の中にゐて幸福でした。
絶望が僕を幸ひな男にしたのです。
燦然たる太陽も蔭を作る。
影をゆすつて僕は沼地を行く。
太陽を背にして····腹にはヘソがある。
     ★
蘆よ、眼[まなこ]の湖[うみ]の岸に生ふる蘆よ。
お前の智と愛とが微風にきらめく午後のころ、
ひるがほが力なくうなだれた愛撫のその後で
人生のモノトナスな小波にゆらぐ――
ああ····今は辭書から遠く、
美術館も、そしてモツアルトのふるへる手も、
すべては僕の手から滑り落ちてしまつた。
すべて良きものはまめな盲人にくれてしまつた。
ああ····今は辭書から遠く、
ひるがほのうなだれる丘に來て、
風に吹かれてひとり温める。
誰にも濕氣はくれてやるまい。
彼女の瞼の岸に生ふる可弱き蘆以外には。
     ★
Muse No, 10 につかへて戰ひの庭に征く。
鳩が銃殺され、その血が
僕の額を星型の思想で飾つた。
山で壮牡鷄が鳴くと
それは情熱なき犯罪が、戀なきパツシヨンが行なはれてゐるのだと
僕は考へるやうになつた。
またひるがほの花が咲けば
それはあなたの郷愁の涙で咲いたのだと考へよう。

だが血は流されたのだ!
囁のうちに心から心へと傳はる血の種は地に落ちたのだ
われわれの心理の藪に炎は燃え上つてゐるのだ。
戀なきパツシヨンが傳はつてゐるのだ。
ババ抜きのババのやうに、
ひとり易ひの懐疑のやうに。

「新領土」 1938-03

「Nomade de Tokio」  服部 伸六
     ★
煙る沼の中で僕は皮をはぐつもりだ。
皮を改めてみねばならぬ
稚い小兒の皮は何時の間にやら荒れ果てた。

若しも許されるなら、····いや許されなくとも、
内臓を泥で洗はう。
まぎれもない泥で清めよう。

この内臓はいぎたなく眠り、
黒人の狂つた唄聲は終ることもなく、
オオ感性よ。オオ五官よ。

夜の黒い扉の内側で
色と音と匂ひとがこんな夜更けまで起きてゐる。

政治屋も記者も眠つてゐるこの時刻に
生命の原子共の魔宴は開かれてゐる。

内臓は飲み過ぎた酒に汗をかいて
藝術のシヤンデリヤの下にある。

つゝましい反逆に上氣して僕は。

つましい反逆に上氣して
あなたが散歩に出た後で
僕は空しく待つてゐた。
     ★
すべてを語るには
恐らく何と言ふ不幸せなことだらう。

月が雲間にあるあひだに
默すためには、
水がひかるやうにひつそりと
あらねばならない。

この濡れたほほが
この濡れた心が
この濡れた戀が

「新領土」1938-06